AC回復のきろく

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

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〈AC回顧録・20代後半〉就職してみたら、周囲の人々が意気揚々としていることに驚く

母への絶対的な嫌悪感に気づいてから、絶縁に至るまでの出来事を見つめ直しています(>>>一覧

さんざん親の言うことを聞いてきて、やっと大人になったので自由になれると思いきや、今度は会社の言うことを聞かねばならない。
私にとっては絶望でした。

そんな私とは対照的に、意気揚々としている同期たち。
この時点で、「何か間違えてきた」ことに気づくべきでした。

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母への嫌悪感に気づいてしまったあの就職試験、なぜか受かる

高崎だるま 合格だるま1.5号 白


筆記試験の最中、「母のことが絶対的に嫌い」と気づいてしまいました。

そこからはもう、試験のことなんてほぼ覚えていません。
衝撃を受けてしまって時間が足りなくなり、最後のほうはただマーク欄を埋めただけでした。

しかし、いざ蓋を開けてみると、なぜかその筆記試験に合格、あれよあれよと二次、最終と進み、内々定が出ました。

私が受けた会社の中では最も有名で規模も大きかったので、母や伯母からも文句をつけられることなく、入社することになりました。
私にしては珍しい、異常なスムーズさでした。

足かせがさらに重みを増した気分

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しかし、就職するのが嫌で嫌でたまらない私にしてみれば、「あーあ、”終わり”が始まった」という気持ちでした。

「この年になってもなお誰か(会社)のいうこと聞くのか……」という暗澹たる気持ち(今思うと採用してくれた会社に失礼すぎるのですが……)だったのです。

「大人になれば楽になるはず」と自らを励まして頑張り続けてきたので、「楽にはならなかった」という落胆がすさまじかったのです。

過去の自分が「楽になる」と言ったのは嘘だったのか、と自分にがっかりしました。
自由になりたくてなりたくて仕方がなかったのです。

研修で同期とのテンションの差に驚く

研修中 クリップ ピン バッジ 若葉マーク 初心者マーク 75×25×15mm

入社式を終えると、本格的な研修が始まりました。
同期が全員集まるので、少なくとも100人くらいとは直接話す機会があったと思います。

そこで私は、同期とのテンションの差に驚きました。
「いい会社に入れた!これからがんばるぞ!」という感じで、みんな意気揚々としているのです。

さすがに私ですら、フレッシュな新人を装ってはいましたから、ほかにも憂鬱な気持ちを隠し持っていた人はいたと思いますが。
それを差っ引いても、7~8割くらいの人は満足しているように見えました。

おそらく、彼らのほとんどは納得してその会社を選んでいるわけです。
その前段階の、専門分野の選定の段階でも、おそらく納得して選んでいるのです。
親の顔色を見ながら学部を選んだ私とはわけが違うのです。
愛されたくて勉強に固執した私とはわけが違うのです。

要するに、自分の人生にある程度納得している人が多かったのでしょう。

当時の私はそこまで分析できず、「なんでみんな、こんなに意気揚々としているんだろう??たしかにネームバリューある会社だけど……それ以前にみんなすでにいい大学(=私が出た大学よりはるかに偏差値が高いところ)出てるんだから……いまさらあんまり関係なくない?」と不思議でなりませんでした。

今思うこと

前向きに頑張ろうとしている同期たちを見て、「いいよねー、なんだか気楽そうで」なんて思っていました(今思うと失礼すぎる汗)。

あのとき私がやっておくべきだったことは、シラけることでもなくて、「前向きな彼らと自分の差は何か」をよく考えることだったのかもしれません。

その時点までの選択の一つ一つが、私にとっては間違っていた、だから今を喜べないということ。
それに気づければもうすこし早く動けたのかなとは思います。

仮にも一流企業の正社員、客観的には恵まれているように見えていたと思いますが、ここから、私にとっては地獄のような時間が始まります。

その一方で、この会社に入社したことは、母との絶縁においてひとつのキーポイントになるのでした(後になって判明する)。

母と距離をとるためには絶対に必要な経路だったので、何が功を奏するかは後になってみないと本当にわからないよなあとも思います。

逆に、今良さそうに思えることでも、何十年も経ってからひっくり返ることだってありえるのですよね(私の母だって、手塩にかけて育てたつもりの娘から絶縁されるなんて思いもしなかったでしょう)。

そう考えると、人生を終えるときに
「なんだかんだいって、選んできたことは全部正解だった」とか
「間違えたこともあるかもしれないが、後悔はない」
と思える状態を目指していくしかないのかなと思います。

一日一日を納得していければ、それが一か月、一年となって、後悔のない人生につながるのかな、と今は思っています。

まずは、”今”を納得の状態に近づけていくことからですね。

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つづき:〈AC回顧録・20代後半〉苦しさが当たり前すぎて異常さに気づけなかった


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