過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
私の母は、私が反論でもしようものなら、自転車でどこかに逃げてしまう人でした(母自身は夜中まで怒っていたり、グチグチ攻撃してくるのに)。
母の態度によって「私は誰にも受け止めてもらえない」という観念を強固に身につけてしまったことは、その後の人生をつらくさせました。
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母は夜中まで怒り狂ったりするのに、娘の反抗はいっさい許さない
小学校高学年のころ母に無理やり通わされていた塾(>>>受ける予定もないのに中学受験用の塾に行くのが辛くて辛くて仕方なかった)のストレスもあって、不満でどうしようもない時期がありました(単純に反抗期だったのかもしれませんが)。
しかし、私が不満を訴えようとも、母はそれを一切受け付けません。
とくにヒートアップして親子喧嘩のような状況になったとき、母は家を出て猛ダッシュ(自転車)でどこかに逃げて行ってしまうのです。
母からすれば「喧嘩にならないように配慮した」つもりだったのでしょう。
でも私からすると、「お母さんはあれだけ私に怒りをぶつけてきたのに、私が文句言おうとしたら逃げるって……なんかずるくない?」と思いました。
何度もそのようなかわされ方が続き、「あまりにも向き合う気のなさ」に腹が立ちました。
あるとき私も我慢の限界で、逃げようとする母を追いかけたことがあります。
しかし母は自転車(猛ダッシュ)ですし、長期戦に持ちこまれれば負けはきまっています。
しかも外でそんなことをしている自分が恥ずかしくなって(同級生に見られる可能性あるし)、結局母の背中を見送るしかありませんでした。
もし私が勇気ある子どもだったら、後ろから自転車をけり倒すくらいのことはできたかもしれません。
あるいは、母の居ぬ間にどこかに行ってしまうとか。
でも、それはそれで胸が痛んでできませんでした。
そのくらいのことができるなら、とっくに反抗して「問題児」としてどこかに預けられていたはずですから。
あの、わけもわからずキレ散らかす母から生まれたとは思えないほど、無駄に理性が働いてしまう。
そんな自分に、やるせなさとむなしさでいっぱいでした。
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この体験から学ぶこと
受け止めてもらえないことは何よりも悲しい
あのころの私の怒りは、幼少からの「受け止めてもらえないこと」の蓄積の結果でした。
大人たちから見たら「ただの反抗期」に見えたことでしょう。
でも、私にとっては、”反抗期”としてひとくくりにしてもらっては困るほどの、切迫したものだったのです。
今となっては「あの人(母)にはそもそもそういう能力(共感など)がない」とわかっていますが、当時は小学生でしたから、やっぱり親に対して「受け止めてほしい」と期待してしまっていたんですよね。
私の怒りは、表出の場を失ったために、その後もずっと私のなかに残りつづけ、変な腐り方をしていきました。
一番の害は「私は誰からも受け止めてもらえない」という観念が、かなり強固にしみついてしまったこと。
それは、大人になっても居座り続けました。
いまだに、たまに顔をのぞかせて私を震撼させるほどです。
誰かを信じたい、前向きにとらえたいと思っても、「受け止めてもらえなかったこと」のほうしか経験していないのだから、どうしても「かつて実際に経験したほう」がリアリティがありますよね。
毒親育ちの人が成人後もなかなか人生に苦労するのは、つらい思いしかしていないので、それしか存在しないように思ってしまうからなのだろうなと、自分を含めて思います。
それでも、、、良い面に目を向けるしかない
「どうせ受け止めてもらえない」と思ってしまうのはある意味仕方がないですよね、そっちしか経験していないのだから。
でも、だからといって、「受け止めてもらえない」と思い続けてしまうと、やっぱり「受け止めてもらえない」が続くのがつらいところ。
「どうせ受け止めてもらえない」は、隠しているつもりでも、なんとなく相手にも伝わってしまいますからね。
だから、あるところで「(最初は多少無理している感出ますが)良い面に意識を向ける」ようにすることが大事なんだろうな、と思っています。
ただこれも、けっこうむずかしくてですね。
絶望しているようなときとかに「良い面に目を向ける」て言ったって、苦しいだけなんですよね。ある意味自分にウソをついているような感じになってしまいますし。
だから、できそうなときだけでいいので、「良かったところを数える」とか、「人の良い面を見る」というのを、少しずつでもいいのでやっていくことが大事なのだろうと思います。
ただこれも、多少は頑張らないとすぐに元に戻ってしまうのですが。
となると、なるべくいい気分でいられるように、まずは環境から調整していくことも大事なんだなと思います(できるだけやりたくないことをやらないで済むように方針転換していくというか)。
そうして、ある程度安定してきたところでやっと、「良い面に目を向ける」ことができるようになり、その割合が増えていき、自分や他人やこの世界のことを多少は信じられるようになっていくのではないか、そう思います。
(私もまだまだ修行中)
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