過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。
幼稚園のころ、私がハーモニカがあまり得意でないことに立腹した母。
ハーモニカを延々と練習させられた話です。
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幼稚園からの連絡帳の内容で母が立腹
幼稚園では、工作だったり、音楽だったり、簡単な勉強(ひらがなとか)だったり、いろいろな時間がありますよね。
勉強関係に関しては、私は幼児教室やら公文に嫌というほど通わされていた(>>>【体験談】ひらがなをひたすら書き続けることの虚しさ)ので、まあ、問題はなく。
手先がわりと器用なこともあり、工作関係でも困ったことはありませんでした。
そんな当時の私が、少々つまずいたのが、「ハーモニカ」。
すでにピアノを習っている子はやっぱり得意でしたので、彼女らと比べると「おや、私、意外とできないな」と焦ったのを覚えています。
で、その日の連絡帳か何かに「ちょっとてこずってました」的な内容を先生が書いてきたようなんです。
それを読んだ母は、「ここぞとばかりにあいつ(先生)ディスってきた(怒)」とわなわなと怒り出しまして。
そこから延々とハーモニカ練習でした。。。
かなり夜遅くまで練習させられた記憶があります。
「こんな遅くまで吹いて大丈夫なのかな」と子どもながらに思いましたので。
苦痛に耐えるみたいなことは勉強関係で慣れていたので、それ自体は「いつものことか」という感じではあったのですが。
母が「あんたのせいで馬鹿にされたじゃない!」みたいな目を向けてくるのがやっぱり堪えましたね。
同時に、「すべての分野で優秀でないとわたしはゆるされないんだ」というメッセージを受け取ってしまい、心に暗雲が立ち込めるような思いでした(幼稚園児なのにね、、、今思うとかわいそうです、私)。
幸か不幸か、練習しまくればそれなりに吹けるようになり、すぐに合格したので、母からすれば「ほれみろ!!!あの先生め!見返してやった!!」という感じで、一件落着したのですが。
結局、母は娘を通して他人より上に立ち、劣等感を癒したいだけの人だったのです。
それに長年付き合わされてしまったこと、残念だったなあ、と思います。
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この体験から学ぶこと
このハーモニカの件だけではなく、勉強も通して、知らず知らずのうちに私が構築してしまった観念があります。
「できないと死ぬ(=ひどい目に遭う)」
です。
この観念、母と絶縁して10年近く経った今でさえも、まだ機能してしまっています(もう立派な中年なのに)。
たとえば趣味の習い事などでも、「できないと先生にがっかりされるのでは」と無駄に自分を追い込んだ挙句、燃え尽きてぱたっとやめてしまったりするのです(趣味なんだから別に下手なままでも楽しめればいいのに……)。
「(想定よりも)できない」ということが、いまだに恐怖なのです。
「できない」状態にとどまってしばし様子を見る、ということができないのです。
だから、何事もなかなか何も続けられない……。
結果として、人生をいまいち楽しめないのです。
まるでペットに対するように「上手にお手ができたらおやつあげる」みたいなしつけをされてきたのだな、とうんざりしますが……まあ言っても仕方ないので。
これからは、趣味などに関しては「できなくても別にいい」と思えるようになっていけたらな、と思います(でも、むずかしい、、、)。
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