足かせは外すことにした

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

【毒母体験記】母にとって都合のいい人以外「全員敵」

過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。

本記事は、「自分(母)と完全一致のもの以外は敵」という母の二分思考、それが招くトラブルについて書いていきます。

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ジャイアンツの応援=母に対する攻撃

(父方)祖母は、ジャイアンツのファンでした。

狭い平屋で同居していましたから、隣の部屋で祖母が野球中継を見始めると音でわかります。
ジャイアンツがヒットでもホームランでも打てば、ぱちぱちと拍手したり「おー」と声が聞こえることもありました。

これ自体は、別に祖母に悪気があったわけではないと思うのですよね。
地元のスポーツチームを応援することはよくあることですし。

しかし、地方出身の母は、「ジャイアンツの応援=自分(母)への嫌がらせだ」と捉えていました。
二分思考というか「自分と同じ属性以外は敵」というのが基本的な考えの人でしたから。

私としては(え、ほんとかな? おばあちゃんは単にジャイアンツを応援してるだけに聞こえるんだけど)と思いつつも、そんなことを母に言ったらひどい目に遭いますから、「まあ、そういうものなんだ」と思い込むことにしていました。

母は、ジャイアンツの応援に対抗するため、セリーグの別の球団のファンになることを私に命じました。
ジャイアンツ戦のときは、ここぞとばかりに大声でこちらの球団を応援するのです。

母からすれば、別球団の応援を通じて、祖母にやり返したい、ということだったんでしょう。

観戦中、祖母の部屋に届くくらいの大声でわざと「わー!打った!」などと言うとき、(わたし、何やってんだろ……)とか(あーあ、私いま、おばあちゃんに嫌がらせしてるんだ)という思いがふっと上がってきて、一気にテンションが下がるというか、ほの暗い気持ちになったことをよく覚えています。

祖母への嫌がらせのために応援している、と思うと一層つらくなるので、私は「本気で野球が好きなんだ」と思おうとしました。

選手も覚えたし、サインボールを買ったり、メガホンを買ったりもしました。

でも、無理をしていました。
正直、野球にあまり興味がなかったのです。

なので、当時応援していた球団のことを思い出すと、いまだに胸がしくっとします。
いまだにテレビで野球中継を見かけると「イラっ」としてしまうのは、この記憶が影響しているのかもしれません。

「親戚の来訪=母への攻撃」

「自分と同じ属性以外は敵」

これを母の本音ベースで、もっと直接的に言い換えると

「自分の思い通りにしてくれる人以外は敵」
「自分のことをちやほやしてくれる人以外は敵」です。

となると当然、父方の親戚はほぼ全員「敵」となります。
母は、父のきょうだいのこと、その配偶者の悪口も日常的に言っていました。

特に、近所に住んでいた親戚は、近所ということもあってよく祖母を訪ねていたのですが、それすなわち母にとっては「攻撃」なんです。
顔を合わせなくても、「来た」ということが「攻撃」に相当するのです。

親戚の自転車やバイクが家の前に止まっていると、もう母の機嫌が悪いこと悪いこと。一切顔を合わせずとも、「攻撃された!」となるわけですからね。

まあたしかに、どこの家庭でも、親戚の中には「ちょっとな……」という人もいますので、仕方ない部分もあるとは思うんですが。

でも「親戚が来ること」は、幼児だった私には一切コントロールできないことです。
そういった、どうにもできないことに対して、おまえのせいだと言わんばかりに不機嫌をまき散らすのはやめてもらいかったです。

親戚の問いに答えてはいけない令

ごくごくまれに、ですが、父方の親戚が自宅(祖父母のところ)に集まる機会がありました。

そういうとき私は、(普段からトイレ以外は自由に出られませんでしたがいつも以上に)「絶対に部屋から出ちゃダメ」と言われていました。

子どもでしたから、どんなものかのぞきに行きたい(いとこも来ているし)気持ちはありましたが、母から許しが出ず、ひとり6畳間に閉じ込められていました。

しかし、それを不自然に思う人もいるわけです。
隣の部屋にいるのになんで出てこないの?と。
ちょっと顔見せるくらいいいじゃない、と。

母としては「アンタたちが敵だからだよ」ということなんでしょうが、強い人には言い返せないんですね。

それで、親戚の集まる部屋に行くのを許されたことがあります。

親戚たちもわざわざ呼んだわけなので「あら、そのワンピース○○のお下がりね。ちょうどいいわね」とか、「幼稚園はどう?」とか、まあ、日常会話程度に話しかけてくれたのですが、何か答えようとするたびに母が、むっつりした顔でぶるんぶるんと首を横に振るのです。

母に呼ばれたから来ただけなのに、言う通りにしただけなのに、むちゃくちゃ怒りの表情でにらみつけられるって、どういうことなんだ、と当時は混乱しました。

睨みつけられてゾッとしていること、答えないと無視することになるので親戚にも申し訳ないと思っていること、苦虫をかみつぶしたような表情を自分がしていること、それを「あれ?」と親戚たちが思っていること、母が言わせまいとしているのがモロバレなこと、それで余計に母の評判が下がること。

いろんなことが一気に押し寄せてきて、でも自分にはどうにもできなくて、思い出しても「わーっ」と叫びたいような気持ちです。

母の圧力によって、私は手も足も口もすべて塞がれていたのです。

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【親を反面教師に】二分思考は誰も幸せにならない

「白」と「黒」の二色しかなかった母。

「自分(母)にとって都合のいい人」以外は「全員敵」ですから、時間の経過とともに世の中のほぼ全員が「敵」になっていきます。

「おまえ、私の言う通りにしなかったな!」とすぐ怒ってファイティングポーズをとるので、相手も「えっ?」と戸惑って距離を取りますし、あるいは「なんだと!?」と戦いになります。

なので母は、基本的に友達がいませんでした。
たまに、怪しげな人とやけに仲良くなったな、と思ったら、その数か月後には大喧嘩でした。

パート先でも「揉め事を起こして退職」を繰り返していました。

私のことも「すべてお母さんの言う通りにしなかったら娘じゃない」わけなので、「言う通りにしないならあんたを捨てるんだからね」と言っていました。

でもその結果、何十年もあとになって、堪忍袋の切れた娘に捨てられるのですけど。


母の二分思考は、どちらかというと「能力的に仕方がなかった」ことなんだろうと思います。
母の生き方をなぞると、「ものごとを多面的に見る」という能力が、生まれつき欠落していたように感じます。
当時はわかりませんでしたが、なんらかの障害だったのかもしれません。

そんな母から生まれてしまった私がとれる選択肢は
・「母の言いなりになる」
・「母の言動に惑わされずに自分を信じる」
の2つしかありませんでした。

本当は、後者を選ぶべきでした。
けれども、幼児だった私には、そこまでの力がありませんでした。

ここまでは仕方ありません。
よほどの天才とかでないと無理だと思います。

私の誤りは、母の言動に左右されるという生き方を、20代になっても続けてしまったこと。
どこか、たとえば高校生くらいとかで、いちど深く考えるべきでした。
「考えること」自体を封じられていたので、それもまた難しかったのですが。

せめて、「図書館で勉強する」とか言って、なるべく家にいる時間を短くするくらいのことをしておけば、と思っています(もしこの記事を読んでくれている若い方がいたら、参考になさってください)。


また、二分思考の母に育てられた私も、その気配をインストールしてしまっています。私の場合はいわゆる「完璧主義」として表出しています。

少しずつ解き放ってきましたが、まだまだ足を取られています。
これからも、意識して外していかねばならぬところです。

親と離れてからも、かけられた呪いとの戦いは続きますね。
長いですよね。

でも、少しずつ良くなっていると信じたいです。

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