
母と距離を置いて、圧倒的にラクにはなったものの。
距離を置いたからといって「完全解決」というわけでもないのが家族の難しいところ。
それ以来、罪悪感との闘いだったといっても過言ではありません。
母への罪悪感が落ち着くとこんどは、べつの罪悪感がでてくる。
私が距離を置いた分、ほかのだれか(父や親戚など)にとてつもない負担をかけているから。
本記事では罪悪感についてすこし考えてみます。
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罪悪感の正体:「愛されたい」
苦しみを抜けるにあたり、必ず立ちはだかるのが罪悪感。
しかし本書によれば
冷静に考えてみれば、そもそも罪悪感を持ってしまうような関係が、おかしいのです。
引用元:草薙龍瞬『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』p.135
本当の「恩」「感謝」とは、「そう思わなければいけない」ものではなく、事実を正しく理解したときに自然に湧き上がってくる「実感」の言葉でなければいけません。
引用元:草薙龍瞬『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』p.140
言われてみればその通りですね。
また、本書では、罪悪感の正体をあきらかにしているのですが、それが私にとってはけっこう衝撃的でした。
<罪悪感の正体>
①愛されたいという願望
②満足させたいという欲求(①を満たすため)
③喜ばせたいという欲求
④「わたしのせいだ」という判断
罪悪感の大元には「愛されたい」がある!!
自身を振り返ってみると、たしかにそうだったかも。
母は自分の面倒を見るのに精いっぱい(というか日常生活を送るすら他人の助けが必要)で、とても私を愛する余裕があるような人ではありませんでした。
早々に「自分の親はそういう人だ」と、良い意味で諦めることができればよかったのですが、私は「私の努力が足りないからいけないのだ」と思い込み、本来の自分からは外れていくような努力をしてしまいました。
自分の気持ちは二の次で、親に認められるために勉強したり、親が喜ぶものを選んだり……。
しかし、そうした行動には自分の気持ちが疎かなので、努力が水泡に帰すことも多かった。その度、「親の望むような子になれなくて申し訳ない」といった気持ちがありました。
まさに、①~④が混濁して「罪悪感」となっていますね。
人は相手に期待し続けているかぎり、「相手にもいいところがある」「こんなことをしてくれた(だから悪い人ではない)」と、一生懸命相手の「良い面」を見ようとします。しかしそれこそが、期待・願望のなせる業(わざ)です。しかし本当は、もう「相手に求めては(期待しては)いけない」のです。
引用元:草薙龍瞬『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』p.142
幸か不幸か、私の母は毒が強く、近くにいると実害が甚大だったので、30歳手前で諦めがつき距離を置くことができましたが……。
「母に愛されることはない」と心底実感したし、諦めもついたので、徐々に「母に愛されたい(罪悪感のもと)」も減衰していきました。
かと思えば、次に出現したのが、父や伯母に対する罪悪感。
私が母と距離をとったことで父や伯母に負担をかけてしまっている
↓
父や伯母は私に失望するのではないか
↓
失望されたら「愛されたい」が満たされなくなってしまう
このような気持ちが潜んでいることを自覚しました。
私は結局、相手を変えて「愛されたい」にかなり執着しているわけなんですね。
父と伯母に対し「負担をかけてしまっている」と思うことは、一見相手を慮っているようでいて、実際は、私が私の「愛されたい」という欲求のために生じさせていたわけです。
「愛されたい」欲求がいけないのか?
罪悪感の大元に「愛されたい」があるということは、罪悪感をなくすには「愛されたい」という願望自体をなくさないといけないのか?とも思いますよね。
で、でも。
子どもの頃はとくに「愛されたい」が根源的な欲求ですし、それが満たされていないからここまで引きずってしまっているわけで……。
親の愛情に恵まれなかった人はどうしたらいいのか。
その点については、仏教でいうところの「愛」があります。
詳しくは次の記事に続きます。
つづき:「心が完全に自由でいられること」という愛の形もある|感想③『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』 - 親の存在が苦しい人のためのブックガイド
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参考文献
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