前回の記事で親に対する罪悪感の大元には「愛されたい」が潜むと書きました。
ということは、罪悪感をなくすには「愛されたい」欲求自体を消す必要があるということ??
いやいや、そんなのとても無理そうに思いますよね。
親に愛されなかったからこそ、よけいに欲しているわけですから。
だからといって、他の誰かに満たしてもらえるかというと、人それぞれ人生がありますから、思い通りに動いてくれるわけがない。
じゃあどうしたらいいのか。
このまま愛がほしいと苦しんで死んでいくのか。
大丈夫、仏教が教える形の「愛」もありますよ、という話です。
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すべては「愛がほしい」につながっている
考えてみれば、人が感じる苦しみ――親への不満や、捨てたくても捨てきれない執着――の数々は、「愛がほしい」という根源的な欲求とつながっています。もし「愛されている」という実感が持てたら、多くの苦痛が癒されるはずです。
引用元:草薙龍瞬『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』p.216
そう、どんな問題も、すべては元をたどれば「愛されたい」なのかもしれませんね。
そしてそれはとても難しいからこそ、多くの人が悩んでいるのだろうと思います。
ですが、仏教が教える「愛」ならば、どんな環境で育っても、大人になってからでも、手に入れられる可能性があるのです。
仏教が教える愛とは
○心が裁かれないこと――つまり、否定的な判断や評価を下されない・裁かれない状態。
○心の自由が許されていること――感覚は感覚として、感情は感情として、そのまま肯定されること。たとえばおいしいときはおいしいと言える。楽しいときは楽しいと思える。そういう自由な状態でいられること。
○自分が考えることは、そのまま自分の考えとして、自分が欲することは、そのまま自分の欲求や願いとして、自分の思いが在ることを許されること。
引用元:草薙龍瞬『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』p.216
つまり、子から親に対して「求める愛」とは別に、「心が完全に自由でいられること(ありのままに理解されること)」という形の愛もある、ということです。
この「心が自由でいられる」というのは、必ずしも他者を必要せず、自分で感じることができるところが素晴らしいなと思いました。
他者はコントロールできませんが、自分が「自由だ」と感じる状態にもっていきさえすれば、安らぎや満足を得られるわけですから。
そして、心の自由を感じて満たされていくうちに、「求めるほうの愛」を必要としなくなるのかもしれません。
「求める愛」と「自由でいられるという愛」の差はある?
人によっては、「いやいや、”心が自由であるという愛”じゃ、ただの自己満足じゃん。人に愛されたり認められないと意味ないんだよ」とか「あくまで代替行為、気休めじゃん」と思われるかもしれません。
私も一瞬そう思いましたが、よく考えてみたら、「親に求めていた愛」と「心が自由である(ありのままでいられる)という愛」って、大元では同じことかもしれないと思ったんです。
というのも、私が親に対して抱いてきた「愛されたい」を別の言葉で言い換えると「ありのままの私を受け止めてほしい」だったからです。
それが親にはしてもらえず(常に否定してくる人々だった)→自分でも自分を否定するようになり→私は自分をこじらせてしまった。
つまり「愛がほしい」という状態は、「ありのままでいたい」ということだったんだと思うのですよね。
だったら自分で自分のことをありのままに理解したらええじゃないか、と素直に思えました。
それならば、今からでもできますよね(否定癖がついているので、とても難しいのは難しいけれども)。
「ありのままを認めてちょうだい」と親に頼むのではなく、自分に頼めばよかったのです。
まぁ、これも、悩みまくった末の結論なので、子供の頃や若い頃に「自分で自分を受け止よう」と切り替えるのは難しかったでしょうが…。
ということは、悩みまくったことにも、ちゃんと意味があったということなのだろうな、と思います。
否定しないことが自由につながる
自分を批判するクセがしみついているうちは、なかなか自分の心を自由にできないもの。
だいぶ外してきましたが、私もまだまだ否定グセがあります。
本当にほんのちょっとずつでいいので、「自分の気持ちを大事にする」ということを積み重ねていくと、「心が自由」、つまりは仏教でいうところの「愛」にたどり着くのではないかと思います。
そしてそれは、他者に対しても言えること。
愛とは、相手の心を――感覚を、感情を、思いを、願いを――ありのままに理解して、けして否定しないこと。互いの心の自由を認め合える関係のことです。
引用元:草薙龍瞬『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』p.216
相手の心をそのまま理解し受容しようと心がけること。そのことで結果的に「人を愛するとはどういうことか」を学んでいけばいいのです。
引用元:草薙龍瞬『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』p.224
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おわりに
・どんな問題も「愛がほしい」につながっている
・親にもらえなくても「心が完全に自由である」という愛の形もある
・自分(や相手)の心をありのままに理解して否定しないことが愛につながる