ししもとの読書ノート:アダルトチルドレン卒業まで

アダルトチルドレン当事者が読んできた本の感想を紹介しています

毒親育ちが自分の人生を生きるには…罪悪感に負けずに不当な要求を断る必要がある

 

だれかの期待に背くことが怖くて。
当然、何か頼まれたら断れない。

気づけば周囲は、好きじゃない事・モノ・人ばかりでした。

今思うと、そうやって、好きでもないものばかり受け入れてしまっていたから、人生が不満で不幸だったのだと、よくわかります。

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要求を断れないのは見捨てられ不安があるから

 私自身大変に「良い子」であった。常識ではとうてい考えることが不可能なほど良い子であった。完璧なまでに自分の感情を殺して、親に百%の従順を誓っていた。強くすぐれていなければ見捨てられるという不安から、自分の弱点を死に物狂いで隠した。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.117

もうほんとこれ、わかりすぎます……。

未熟な親に対して、こちらが何か要求しようものなら、「わがまま」「常識外れ」「この親不孝者め」などと言われ、拒絶され、嫌われる。
子どもとしては、拒絶されたら命がないということなので、親に迎合するしかない。

そうして親との関係を通じて、「ただ奴隷のように尽くす」ことを学んでしまう。

さらに悩ましいのが、成長してからも、親と似たような人とつき合ってしまいがちだということ。慣れているのである意味安心してしまうというか……結果的に迎合スタイルを続けてしまいがちなのですよね。

しだいに、自分がなんらかの要求を持つこと、それ自体に罪悪感を感じることが強化されていきます。

 周囲の人のあなたへの要求はものすごかったが、あなたの周囲への要求は百%無視された。そうして育ってくる間に、いつの間にか自分は何も要求してはいけないと感じてしまったのである。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.124

 

罪悪感に負けずに、断らねばならない

「私が譲らないとこの場が収まらないよな」というような、現実的な”どうしようもなさ”もありますよね。
親が未熟だと、泣いたり叫んだりするので、子の側が譲るしかなくて。

それでも、不当な要求はお断りしないといけないと著者はいいます。
なぜなら習慣になっていってしまうから。

たとえ不当な要求であっても、それを受け入れて行動すると、いつの間にかその不当な要求が正当に思えてくる。いつの間にかその不当な要求に従ってしまう自分を自分が受け入れていってしまう。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.127


一旦習慣になってしまえばストレスを感じなくなるのかというと、決してそうはいきません。

 本人は気が付かないけれど、このように習慣化した屈辱的態度によって、無意識の領域には怒りや憎しみが蓄積されていく。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.131

まさにこれ、私自身にも覚えがあって、「現実的に親の意向に従うしかない」とあきらめているはずなのだけど、怒りはものすごく積み重なっていったのですよね。

私の場合は、怒りが限界点を越えたのが30歳頃であり、ほんとうにどうしようもないレベルまで我慢しきっていたので、もう修復の余地はゼロ、絶縁しか考えられませんでした。
関連:〈AC回顧録・29歳〉堪忍袋の緒が切れた日のこと:「母に認められること・愛されることはこの先も一生ない」とやっとわかった【絶縁を決意】

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可能な限りうまく距離をとりつつ、お断りモードに移動するには

私は溜めこみすぎてしまって、絶縁の形になってしまいましたが……

絶縁までは至らずにそれなりにうまくやりたいという方もおられると思います。

そういう人はどうしたらいいのか。

うまくやっている人を観察してみると、ある段階で「親のこと、嫌いでもいいんだ」と理解し、親の見えないところではうまくやる(=自分の意志を優先する)ことができてきたのだろうな、と感じます。

※ただし、「親から見えないところでは自分を優先する」のは、放任型の親であれば可能なのですが、過干渉型の親だと躍起になって詮索してきたりで実際は難しいです。

それでも、可能な限り距離をとるのが大事だと思います。

神経症的人間関係に苦しめられて生きてきた人は、何をおいてもその人間関係から自分を引きはなすことが重要なのである。どんな犠牲を払ってもこの関係を打破しなければならない。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.130


なかなか難しいのもわかります。
親に愛されなかったからこそ、親の愛がほしくて、離れられない面もありますから。

そんなときはこう考えるとよいです。

 神経症的人間関係を解消しようとする時、「自分はこの関係を解消することで失うものはなにもない」と言いきかせることである。

加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.130


私も「親のいない世界に行きたくてたまらない、でも…」とずいぶん悩みましたが、あるときふと「あれ? 絶縁してもなんのデメリットもなくない?」とふと思ったんですよね。

親からしたら「老後の面倒ー」とか「お金がー」とか、私を失うことでいろいろ困るのでしょうけど、私側からすれば、トラブルの発生源自体がなくなるということなので、むしろ「メリットしかなくない?」と。
実際メリットしかなかった。

絶縁までしたくないという場合でも、しっかり距離を広げておき、必要最低限の対応にとどめるというのが現実的なのかなと思います。

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おわりに

・見捨てられ不安から無理な要求ものんできてしまった
→いつのまにか「ただ奴隷のようにつくす」生き方に
→自分の意志をもつだけで罪悪感を感じるように
→どんなに不当な要求でも断れなくなってしまう
→習慣になってしまう、無意識領域に怒りが蓄積していく
 ↓
なんとしてでも不当な要求は断らねばならない
・物理的な距離を広げておくと断りやすくなるケースもあるかも?
・断っても「失うものはなにもない」と考える

参考文献

※本記事で参照した書籍は単行本のほうなのですが、リンクがなかったので文庫版のリンクを貼っています。

愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫