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おもに親子関係や人間関係の本の感想です

不当な要求に対しては罪悪感に負けずに断る必要がある|『愛されなかった時どう生きるか』⑦

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加藤諦三氏の愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫を読みながら、学び、感想をまとめ、今後の生きる知恵をつけています。

本記事のポイント

・不当な要求をのんでいるとそれが習慣になり、怒りが蓄積する
・なんとしてでも断らないと幸せにはなれない

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要求を断れないのは見捨てられ不安があるから

 私自身大変に「良い子」であった。常識ではとうてい考えることが不可能なほど良い子であった。完璧なまでに自分の感情を殺して、親に百%の従順を誓っていた。強くすぐれていなければ見捨てられるという不安から、自分の弱点を死に物狂いで隠した。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.117

もうほんとこれ、わかりすぎます……。

未熟な親に対して、こちらが何か要求しようものなら、「わがまま」「常識外れ」「この親不孝者め」などと言われ、拒絶され、嫌われる。
子どもとしては、拒絶されたら命がないということなので、親に迎合するしかない。

そうして親との関係を通じて、「ただ奴隷のように尽くす」ことを学んでしまう。

さらに悩ましいのが、成長してからも、親と似たような人とつき合ってしまいがちだということ。慣れているのである意味安心してしまうというか……結果的に迎合スタイルを続けてしまいがちなのですよね。

しだいに、自分がなんらかの要求を持つこと、それ自体に罪悪感を感じることが強化されていきます。

 周囲の人のあなたへの要求はものすごかったが、あなたの周囲への要求は百%無視された。そうして育ってくる間に、いつの間にか自分は何も要求してはいけないと感じてしまったのである。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.124

 

罪悪感に負けずに、断らねばならない

この罪悪感に加え、「私が譲らないとこの場が収まらないよな」というような、現実的な”どうしようもなさ”もありますよね。親が未熟だと子の側が譲るしかないので。

それでも、不当な要求はお断りしないといけないと著者はいいます。
なぜなら習慣になっていってしまうから。

たとえ不当な要求であっても、それを受け入れて行動すると、いつの間にかその不当な要求が正当に思えてくる。いつの間にかその不当な要求に従ってしまう自分を自分が受け入れていってしまう。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.127


一旦習慣になってしまえばストレスを感じなくなるのかというと、決してそうはいきません。

 本人は気が付かないけれど、このように習慣化した屈辱的態度によって、無意識の領域には怒りや憎しみが蓄積されていく。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.131

まさにこれ、私自身にも覚えがあって、「現実的に親の意向に従うしかない」とあきらめているはずなのだけど、怒りはものすごく積み重なっていったのですよね。

私の場合は、怒りが限界点を越えたのが30歳頃であり、ほんとうにどうしようもないレベルまで我慢しきっていたので、もう修復の余地はゼロ、絶縁しか考えられませんでした。
関連:〈AC回顧録・29歳〉堪忍袋の緒が切れた日のこと:「母に認められること・愛されることはこの先も一生ない」とやっとわかった【絶縁を決意】

 

可能な限りうまく距離をとりつつ、お断りモードに移動するのもあり

親への嫌悪感を抱えつつも、絶縁までには至らずにそれなりにうまくやっている人を観察してみると、ある段階で「親のこと、嫌いでもいいんだ」と理解し、親の見えないところではうまくやる(=自分の意志を優先する)ことができてきたのだな、と感じます。

ただ、そのような、「親から見えないところでは自分を優先する」のも、放任型の親であれば可能なのですが、過干渉型の親だと余計に詮索してきたり、面倒なことになるんですよね。

過干渉母と高校1年くらいまで同部屋だった私には、物理的・時間的に「親から見えないところ」がほぼないので、やっぱり難しかったよなあ、と思います。

じゃああのときどうしたらよかったのかを考えてみると、やっぱり可能な限り距離をとるのが大事だったなあと今は思います。
なるべく「学校や図書館や自習室で勉強する」とか(うちの母の場合、遊びで外出するのは許さないが、勉強目的ならなんとかなったかもしれないので)。

さらに大学は、思い切って実家から遠くのところを受けたりすればよかったなと(まあ、金銭面の問題もあるのですが……それでも、毒親のペースに巻き込まれるよりも早めに独立してアルバイトに忙殺されるほうが健全だったかもしれない)。

不当な要求を断れば相手が発狂するのを見越して、発狂されても実被害がなるべく少ないような距離に移動しておくことも大事だなと思いました。

神経症的人間関係に苦しめられて生きてきた人は、何をおいてもその人間関係から自分を引きはなすことが重要なのである。どんな犠牲を払ってもこの関係を打破しなければならない。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.130


とはいってもなかなか難しいのもわかります。
親に愛されなかったからこそ、親の愛がほしくて、離れられない面もありますから。

そんなときはこう考えるとよいです。

 神経症的人間関係を解消しようとする時、「自分はこの関係を解消することで失うものはなにもない」と言いきかせることである。

加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.130


私も「親のいない世界に行きたくてたまらない、でも…」とずいぶん悩みましたが、あるときふと「あれ? 絶縁してもなんのデメリットもなくない?」とふと思ったんですよね。
親からしたら「老後の面倒ー」とか「お金がー」とか、私を失うことでいろいろ困るのでしょうけど、私側からすれば、トラブルの発生源自体がなくなるということなので、むしろ「メリットしかなくない?」と。

親に限らず、面倒なことを依頼してくる知人・なんでもかんでも否定してくる知人などなどは、正直、関係が絶たれても困らないどころか、メリットのほうが大きかったりする、意外と。
まあ、復讐してくるタイプの人はいますので、そこは気をつけないといけないですけど。
となると、ある程度距離を広げていき、必要最低限の対応(ただし感じよく)にとどめるというのが現実的なのかなと思います。

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おわりに

・見捨てられ不安から無理な要求ものんできてしまった
→いつのまにか「ただ奴隷のようにつくす」生き方に
→自分の意志をもつだけで罪悪感を感じるように
→どんなに不当な要求でも断れなくなってしまう
→習慣になってしまう、無意識領域に怒りが蓄積していく
 ↓
なんとしてでも不当な要求は断らねばならない
・物理的な距離を広げておくと断りやすくなるケースもあるかも?
・断っても「失うものはなにもない」と考える

参考文献

※本記事で参照した書籍は単行本のほうなのですが、リンクがなかったので文庫版のリンクを貼っています。

愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫