親の呪いを解いて自分の人生を生きる

10年かかったけどなんとか回復してきた

罪悪感に負けて不当な要求をのんでいると習慣になってしまう→犠牲を払ってでも断る必要がある

私の母のいろいろな要求のうち、とりわけ最も困るのが
「理想通りの人間になって、お母さんの地位を高めてちょうだい(=優秀な子を育てた母は偉い理論)」
ということでした。

要するに「お母さんにとって、全方位で都合のいい娘になりなさい」ということ。

勉強ができて、性格もよくて、上品で、かわいくて、愛嬌があって、思いやりがあって……etc

しかし私とて一人の人間、それもあの未熟な両親から生まれた人間なのですから、「完璧な娘」になんてなれるわけがありません。そもそもが無理な設定、ファンタジーの話です。

でも、子どもだった私にはそれがわからなかったのです。
私さえがんばればなんとかなるものだと思ってしまいました。
常に努力が足りないのだろうと思っていました。

30歳くらいまで、親の意向に沿うような生き方をしてしまって、気づいたときには「自分」を失っていました。

からっぽでした。
自分で選んできた道のはずなのに、”私”の要素が一つもないのです。
見知らぬ異国、それも冷酷な人ばかりが暮らす異国にいつのまにか紛れ込んでしまったような感覚で、不安で不快で仕方なかった。
魚なのに陸に上がってしまって、苦しくていつも口をぱくぱくさせているみたいでした。

しかも、そんなに苦しい思いをしてきても、親の愛が得られるわけではなかったのです(そもそも愛する能力自体がない親だった)。
損失しかありませんでした。

そんな若い頃の私に言い聞かせたいのが「表面上は母の要求を聞いているフリをして、水面下で自分の意志をできるだけ尊重しておけばよかった」ということです。

加藤諦三氏の愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫を参考に書いていきます。

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要求を断れないのは見捨てられ不安があるから

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 私自身大変に「良い子」であった。常識ではとうてい考えることが不可能なほど良い子であった。完璧なまでに自分の感情を殺して、親に百%の従順を誓っていた。強くすぐれていなければ見捨てられるという不安から、自分の弱点を死に物狂いで隠した。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.117

もうほんとこれ、わかりすぎます……。

未熟な親に対して、こちらが何か要求しようものなら、「わがまま」「常識外れ」「この親不孝者め」などと言われ、拒絶され、嫌われる。
子どもとしては、拒絶されたら命がないということなので、親に迎合するしかない。

そうして親との関係を通じて、「ただ奴隷のように尽くす」ことを学んでしまう。

さらに悩ましいのが、成長してからも、親と似たような人とつき合ってしまいがちだということ。慣れているのである意味安心してしまうというか……結果的に迎合スタイルを続けてしまいがちなのですよね。

しだいに、自分がなんらかの要求を持つこと、それ自体に罪悪感を感じることが強化されていきます。

 周囲の人のあなたへの要求はものすごかったが、あなたの周囲への要求は百%無視された。そうして育ってくる間に、いつの間にか自分は何も要求してはいけないと感じてしまったのである。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.124

 

罪悪感に負けずに、断らねばならない

この罪悪感に加え、「私が譲らないとこの場が収まらないよな」というような、現実的な”どうしようもなさ”もありますよね。親が未熟だと子の側が譲るしかないので。

それでも、不当な要求はお断りしないといけないと著者はいいます。
なぜなら習慣になっていってしまうから。

たとえ不当な要求であっても、それを受け入れて行動すると、いつの間にかその不当な要求が正当に思えてくる。いつの間にかその不当な要求に従ってしまう自分を自分が受け入れていってしまう。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.127


一旦習慣になってしまえばストレスを感じなくなるのかというと、決してそうはいきません。

 本人は気が付かないけれど、このように習慣化した屈辱的態度によって、無意識の領域には怒りや憎しみが蓄積されていく。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.131

まさにこれ、私自身にも覚えがあって、「現実的に親の意向に従うしかない」とあきらめているはずなのだけど、怒りはものすごく積み重なっていったのですよね。

私の場合は、怒りが限界点を越えたのが30歳頃であり、ほんとうにどうしようもないレベルまで我慢しきっていたので、もう修復の余地はゼロ、絶縁しか考えられませんでした。
関連:〈AC回顧録・29歳〉堪忍袋の緒が切れた日のこと:「母に認められること・愛されることはこの先も一生ない」とやっとわかった【絶縁を決意】

 

可能な限りうまく距離をとりつつ、お断りモードに移動するのもありかも

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親への嫌悪感を抱えつつも、絶縁までには至らずにそれなりにうまくやっている人を観察してみると、ある段階で「親のこと、嫌いでもいいんだ」と理解し、親の見えないところではうまくやる(=自分の意志を優先する)ことができてきたのだな、と感じます。

ただ、そのような、「親から見えないところでは自分を優先する」のも、放任型の親であれば可能なのですが、過干渉型の親だと余計に詮索してきたり、面倒なことになるんですよね。

過干渉母と高校1年くらいまで同部屋だった私には、物理的・時間的に「親から見えないところ」がほぼないので、やっぱり難しかったよなあ、と思います。

じゃああのときどうしたらよかったのかを考えてみると、やっぱり可能な限り距離をとるのが大事だったなあと今は思います。
なるべく「学校や図書館や自習室で勉強する」とか(うちの母の場合、遊びで外出するのは許さないが、勉強目的ならなんとかなったかもしれないので)。

さらに大学は、思い切って実家から遠くのところを受けたりすればよかったなと(まあ、金銭面の問題もあるのですが……それでも、毒親のペースに巻き込まれるよりも早めに独立してアルバイトに忙殺されるほうが健全だったかもしれない)。

不当な要求を断れば相手が発狂するのを見越して、発狂されても実被害がなるべく少ないような距離に移動しておくことも大事だなと思いました。

神経症的人間関係に苦しめられて生きてきた人は、何をおいてもその人間関係から自分を引きはなすことが重要なのである。どんな犠牲を払ってもこの関係を打破しなければならない。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.130


とはいってもなかなか難しいのもわかります。
親に愛されなかったからこそ、親の愛がほしくて、離れられない面もありますから。

そんなときはこう考えるとよいです。

 神経症的人間関係を解消しようとする時、「自分はこの関係を解消することで失うものはなにもない」と言いきかせることである。

加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.130


私も「親のいない世界に行きたくてたまらない、でも…」とずいぶん悩みましたが、あるときふと「あれ? 絶縁してもなんのデメリットもなくない?」とふと思ったんですよね。
親からしたら「老後の面倒ー」とか「お金がー」とか、私を失うことでいろいろ困るのでしょうけど、私側からすれば、トラブルの発生源自体がなくなるということなので、むしろ「メリットしかなくない?」と。

親に限らず、面倒なことを依頼してくる知人・なんでもかんでも否定してくる知人などなどは、正直、関係が絶たれても困らないどころか、メリットのほうが大きかったりする、意外と。
まあ、復讐してくるタイプの人はいますので、そこは気をつけないといけないですけど。
となると、ある程度距離を広げていき、必要最低限の対応(ただし感じよく)にとどめるというのが現実的なのかなと思います。

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おわりに

・見捨てられ不安から無理な要求ものんできてしまった
→いつのまにか「ただ奴隷のようにつくす」生き方に
→自分の意志をもつだけで罪悪感を感じるように
→どんなに不当な要求でも断れなくなってしまう
→習慣になってしまう、無意識領域に怒りが蓄積していく
 ↓
なんとしてでも不当な要求は断らねばならない
・物理的な距離を広げておくと断りやすくなるケースもあるかも?
・断っても「失うものはなにもない」と考える

参考文献

こちらは文庫版ですが、本記事では単行本を使用しているためページ数が異なります。