親の呪いを解いて自分の人生を生きる

アダルトチルドレン回復の記録

過保護・過干渉は「偽装された憎しみ」|『愛されなかった時どう生きるか』⑤

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加藤諦三氏の愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫を読みながら、学び、感想をまとめ、今後の生きる知恵をつけています。

本記事のポイント

・過保護や過干渉は「偽装された憎しみ」
→親が自分の欲求を満足させる手段にすぎない

・過保護過干渉に育てられると親のことを客観視できなくなる

・「親は愛する能力のない人だったこと」を認めなければ、他者との関係でも繰り返してしまう。

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(前提)まず、過保護と過干渉の違いは

私が子どもの頃、母はよく周囲の人に「過保護だ」と指摘されていたようです。

そのことについて母はいつも気を悪くしていました。
母からすれば「大事に育てているだけなのにどうして悪いことみたいに言われなきゃならないんだ」という気分だったのでしょう。
たしかに過干渉よりは過保護のほうがマイルドな印象を受けます。

いくつかの子育て系サイトを見たところ、
過干渉:子が望んでもいないことを無理にやらせるなど
過保護:何でも先回りしてやってあげてしまう
というのがだいたいの解釈らしい。

つまり、過干渉と過保護の違いは「子が嫌がっているかどうか」ということらしいです(だから「過干渉はNGだけど過保護はOK」みたいに書いてあるサイトすらあるんですが……個人的には根っこは同じなのでそういう書き方は危険だと思っています)

で、この定義にあてはめると、私の母は「過保護」じゃなくて完全に「過干渉」でした。
母に「過保護だ」と指摘した人も「過干渉」だと角が立つから「過保護」にしたのでしょう。

ともあれ、過保護も過干渉も、「親がよかれと思って先回りしてやってしまう」という点は、子どもの自主性を無視している行為です。

過保護は「偽装された憎しみ」

 たとえば夫との関係に絶望した母が、その欲求不満を解消するために子供に感情をぶつけていく。生きることに絶望した母が、自分の欲求を満足させる手段として深く子供に干渉していく。それが過保護であり、過干渉である。
「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」 PHP(1989)p.61


「夫との関係がよくない」
「自分の欲求を満足させる手段として子に干渉」
まさに私の母のこと……。

劣等感の強かった母は父に愛されれば幸せになれると期待したのでしょうが、残念ながら父とはものすごく相性が悪かった。
だから今度は「せめて子を通じて人生挽回してやる」という方向に向かったのだと思います。

それほど劣等感が強いこと自体は気の毒ですが、本人には子を利用している認識が皆無だから厄介。

自分自身の感情が、あたかも子供のものであるかのように思ってしまう母がいる。このような母には共感能力はないが、本人は自分は子供を可愛がっているつもりになっている。
愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP(1989)p,68

ほんとにこれなんですよ!!!

本当は愛してもいない、むしろ嫌いな娘(=嫉妬の対象)にあれこれ口出しをして、「かわいがってやっている」つもりなんですね。
だから「お母さんは(嫌いなアンタにすらも)こんなにしてやった」と恩着せがましくなるわけで。

 子供の話を、子供の言わんとするところを、ありのままに受けとることなく、母親の劣等感に従って反応し、子供を評価する母親がいる。
 それでいながらみな母親は自分は子供を可愛がったつもりになっている。
愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP(1989)p,69

このような親に育てられると、子は親のことを客観視するのが難しくなるそうです。

このように過保護・過干渉に育てられた子供は、どうしても自分の両親をやさしい親と思いたがる。そう思わなければ不安で生きていけない。
愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP(1989)p,61

そう、そう、そうなんですよ……。

私自身も「うちの親、ちょっとおかしいよな……」と思いつつ、「お母さんはあまりにも私のためを思いすぎてこんなふうになってしまっているんだ、愛されているからなんだ」と必死で思い込もうとしていましたから。

でも、心の底ではなんとなくわかっているんですよ、「お母さんはあんまり私のこと好きじゃないんだな」って。

 

過保護とは偽装された憎しみである。或いは本質的な拒否である。

愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP(1989)p,61

とくに母からしみだしてくるのは「嫉妬」「妬み」でした。
母がコンプレックスを抱いていた事項に関して、私はたまたま真逆だった(たとえば母は太っていたのに私は太らない体質であるとか)ので。

母はそれを喜んでいるようなふりをしていましたが、目が笑っていなかったというか……心の奥底で私を疎ましく思っているのだな、というのは日々感じていました。
母よりも父に似たことで、私が父と気が合っているように見えて、それも悔しかったのでしょう。

劣等感が強すぎるとと自分が生んだ子すらも妬んでしまって愛することができない、ってことですよね。
とても悲しいことです……。

このような母親に育てられることは悲劇ではあるけれども、「私の親は愛する能力がなかった」と真実を認めなければ、先に進めないと著者はいいます。

 親に可愛がってもらいたい、理解してもらいたい、素直に認めてもらいたい、という願いをいつまでももっていることは、小さい頃の夜空のあの星をとりたいという願いをもちつづけて生きるのと同じである。
愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP(1989)p,77

たしかに……。

親の現実を受け入れて葛藤を解決しないと、他人との関係においても同じことをやってしまうと著者はいいます。
好かれたい、特別扱いされたい、と願いながら「本当は私のこと拒否しているのでは」と相手を疑ってしまう……。
それは相手にも伝わりますから、結局人間関係がうまくいかないわけです。

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おわりに

・過保護や過干渉は「偽装された憎しみ」
→親が自分の欲求を満足させる手段にすぎない

・過保護過干渉に育てられると親のことを客観視できなくなる(そうしないと不安で生きていけないから)

・それでも現実(親は愛する能力のない人だったこと)を認めなければ先に進めない。他者との関係でも繰り返してしまう。

参考文献

※本記事で参照した書籍は単行本のほうなのですが、リンクがなかったので文庫版のリンクを貼っています。

愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫