親の呪いを解いて自分の人生を生きる

10年かかったけどなんとか回復してきた

親切にしているつもりなのに好かれないのはなぜかー実は他人に関心をもっていない

会社員をしていた頃、
「きちんと仕事もしているし、ものすごく周囲に配慮しているつもりなのに……あんまり好かれている感じがしないのはなんでだろう?」
と日々思っていました。

もちろん嫌われたりすることはなかったですが、「出力したものがほとんど評価されなくて物足りない」ような気持ち。

「これでもまだ努力が足りないのかな」とより自分を追い込むようになりましたが……やっぱり評価されている実感がない。

次第に「私のこの気遣いに気づかない周囲が鈍感すぎるのでは」とまで思うようになってしまいました(他責モード…反省)。

あれからかなり時間が経過しましたが、この本を読んでいて、改めてはっきりと原因が判明しました。

※私が読んだのは単行本のほうですが、Amazonリンクがなさそうだったので文庫版のリンクを貼っております。

広告- - - - - - - - - -

 



やさしくしているつもりだけど…実際は他人に関心を持っていない

他人のことばかり気になる人は、本当の意味でやさしくなれない
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.57

これを読んでギクッとしました。

自分の感覚としては「やさしくしている」つもりなのですよ、十分に。
でもそれって、「評価されるため」、つまり自分のためなんですよね……

その場面において、あるいは、相手にとって「必要だから配慮する」じゃなくて、「自分が良く思われたいから」やっているわけなんですよね。

だから相手からすれば「あ、はぁ、どうも(別に頼んでないけど…まあ、やってくれたから一応お礼言うとくか)」くらいのものだったりする。

でも、こちらとしては期待の反応が得られないのでガッカリする。

 他人が自分を好きである、受け入れてくれているという確証を得ることばかり気をつかっている人は、他人への関心はもてない。
 心の不安に気をとられて他人へ気がまわらないのである。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.59

「いかにポイントを稼ぐか」にばかり気がいっているので、相手にとって本当に必要なことかどうかは正直あんまり考えられていないんですよね(汗)

しかも、その「評価を得る」というのも、「うちの親の場合は、こうしたら機嫌とれた」という限定的な経験則に基づいているわけなんですよ。

だから決して適切とも限らない。
とりわけ私の親は未熟な人だったので、安易なご機嫌取り(わかりやすいお世辞など)が有効でした。
けれども健全な人からしたらわざとらしくて逆にイラっとしたのではないか、今はそう思います。

完全主義も不安のあらわれ

(中略)完全主義も他人に受け入れられるための手段なのである。もし自分がうまくやり、他人の関心を引くことに成功すれば自分は拒否されないだろうと考える。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.60

私もまさにこの完全(完璧)主義で……。

常に親から批判・否定されていると、批判アレルギーのようになってしまって、何か指摘されることに過剰反応してしまうというか……ものすごくつらく感じる。

だから、何も言われたくなさすぎて、「私が完璧な存在になれば何も言われないのではないか」と思うようになるんですよね。

限定的な一つの分野、たとえば勉強だけ、とかであればまだいいのかもしれません。
そのうち全方面で完璧を目指すようになってしまい、そうなるともう、人間である以上まず無理ですので、生きること自体が苦しくなってしまうんですよね。

完全を目指すことによって、自分で自分を壊してしまうというか……

でも、「完全」って現実的にはほぼ存在しないんですよ。
人間なので、気分や体調の揺らぎがあるのも当然だし。

無理なことを力づくでやろうとするから、おかしなことになるんですよね。
まあ、等身大の自分を認められていない、ということなんですが。
それだけ家庭環境が不穏だったということでもありますから、仕方ないですよね。

広告- - - - - - - - - -

 



見返りや評価を求めるくらいならやらないほうがいいのだろうと思う

ビバリー スタンプ 木製英語評価印セット SOH-006

自分がやりたくて人に親切にするならいいですが、評価を得たいがために親切にすると、期待の反応が得られなかったり感謝されなかったらガッカリしてしまうもの。
相手からしても「ありがた迷惑」かもしれないわけです。

そうなるともう、lose-loseというか……お互いに不快になるだけで意味がないですよね。

焦って気を遣ってしまうときなど「今私は相手のために動いているのではなくて、自分の安全を確保しようとしているのでは?」とひと呼吸置いてみようと思います。
そうしたらすこし冷静になって空回りすることも減るかもしれません。
シンプルに「ただ親切にしたい」のなら、それはすればいいことだし。

とはいえこれも急にどうこうできるものではないと思うので、少しずつ改善していきたいところです。

参考文献

愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫