若い頃の話ですが、「俺はこんなところがすごい」みたいなのをやたら表明してくる男性によく遭遇しました。
自分のことだけならまだしも、ちょいちょい周囲の誰かを下げつつやるのであまり感じがよくない。
当時の私としては「好かれたくてやっているのだろうけど……なんか逆効果なんだよなあ。逆効果なのに、なんでやるんだろう??」と思っていました。
そのときはうまく言語化できていませんでしたが、誰かを下げてまで「オレをすごいと思え」みたいな自己中心性や強制力にウッとなっていたのかなあ、と。
と、ここまで”正しいっぽいこと”を書いてしまいましたが、私の母だって、私の成績などを自慢して「そんな娘を育てた私(母)はすごい」アピールを同級生のお母さんがたにしていましたからね……。
父だっていつもテレビや世間に向かって「あれが悪いこれが悪いくだらん」で不機嫌なところがあったし。
そんな親の影響もあり、私自身も学業成績や学歴にこだわったり、努力していないように見える人を心の中で批判していた時期があります(たぶん態度にも出ていたでしょう、大反省)。
ともあれ、客観的にみれば逆効果なのに、どうしてついつい「俺/私 すごいんだぞアピール」をしてしまうのか。
加藤諦三さんの書籍を読んでいて、改めて答えがわかりました。
愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫
※私が読んだのは古い単行本のほう(1989年)なのですが、アマゾンリンクがないので文庫版のものを貼っております。
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ほんとうは「安全を確保したい」
親に所有された子供は、世界は敵意に満ちていると感じる。
いずれにしろそのようにして真の自己から疎外された子供は、他人の上に自分をおくことで自分の安全を確保しようとする。
他人よりすぐれていることによってのみ、自分の安全は保たれると感じる。
「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」(1989)p.54
精神的に未熟な親に育てられると、子どもは常に親の顔色をうかがうので、素直な感性を育てられない。
「つまらないけれど、つまらないと言ったら親が機嫌を悪くするから、楽しそうにしておこう」みたいな。
そうやって、自分が感じたことを否定していくうちに、自分にとって何が正解かわからなくなってくる。これが「真の自己を失う」ということですね。
私自身もいつも「わたし、これでいいの??」と周囲に確認したい気持ちでした。
周囲に確認したいくらいですから、自分を信じられていない、すなわち「自信がない」ということ。
この世に存在してもよいかどうか、それ自体が心もとないので、何かしらのわかりやすい社会的基準を見つけるとそれにすがってしまうのですよね。
学歴、勤めている会社が有名、お金がある、配偶者が云々。
これがあるから私は生きていてもいいんだ、と。
社会からつまはじきにされる理由はないのだ、と。
その指標にすがればすがるほど、怠けているように見える人のことを見下したりしてしまうわけです。
つまり「俺/私 すごいんだぞアピール」って、実際にやっていることは「安全確保」なんですよね……。
でも、周囲からすればなかなか嫌な感じですから、好かれたいのに逆に嫌われていくわけで。
なんか……やるせないですね。かなしい。
愛されずに育つことは本当に悲劇ですね……。
自分の安全を確保する野心や名声に固執する。それらが自分の無力感や孤立感を解消してくれるからである。
「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」(1989)p.55
私自身も過去を振り返ってみると、親に愛されたい(=安心して存在したい)がために学歴にこだわっていたのだと、今はわかります(→学歴コンプレックスのはじまり)。
自分を取り戻そう
すぐに解決できる問題ではないのですが、長い時間をかけてでも、本来の自分を取り戻すことが大事だと、私は経験上思っています。
私の場合は「本心を大切にすくいあげる」ということをかなり気をつけてやってきました(もちろん何がなんでも自分の意見を押し通すとかではなくて、できる範囲で)。
「本当はAにしたいけど、この場ではBにしたほうがいいんだろうな」というときに、可能であれば「本当はA」のほうを採択する、勇気がいるけれど。
といっても、いきなり大きなことは無理なので、「今何が食べたいか」とかそういうことから始めました。
それを繰り返していくうちに、本当は何が好きで、何がやりたいのか、少しずつわかってきました。
好きなもの、やりたいことを選ぶうちに、社会的立場などは気にならなくなりました。
本書に書かれている具体的な解決策などもこのあとの記事でまとめていきますので、そちらも後日読んでいただけると幸いです。
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おわりに
学歴、名声、お金などなど、何かにつけて人よりも優れていることに固執してしまうのは、それがその人にとって「安全確保」になっているから、という話でした。
そう私自身も気を抜くとやってしまうので、改めて気をつけようと思いました。
参考文献