加藤諦三氏の愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫を読みながら、学び、感想をまとめ、今後の生きる力にしていきます。
本記事のポイント
・感情を抑圧させられたことで、自分を嫌いになってしまった
→自分嫌いから抜け出すには、感情を抑圧することなく素直に
・理想の自分と実際の自分にギャップがあるから神経症的になる
→ありのままの気持ちを自分が受け入れるしかない
・親の愛はなくても生きていける(そう思えるまでが大変なのですが……)
- 本記事のポイント
- 本来の「私」では生きてこられなかった
- 親に嫌われていることはわかっていたし、自分も親を嫌いだったが、そう感じないようにしていた
- 自分を嫌いじゃなくなるにはどうしたらよいのか→感情の抑圧をやめて素直に生きよう
- おわりに
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本来の「私」では生きてこられなかった
毒親育ちの人生が苦しい根本的理由は「本当の自分を忘れてしまったこと」。
親の意向に沿わないと命が危なかったので、気に入られるように振る舞うしかなかった……そして、その行動様式は習慣となり、いつしか「本来の自分」を忘れてしまった。それが今現在の”苦しさ”だと著者はいいます。
でも思いますよね。
「本来の自分」で許されなかったのだから、戻るわけにはいかないじゃない、と。
いいえ、「本来の自分」が悪かったとはいえないのです、決して。
自分の面倒を見るのに精いっぱいな親が「迷惑をかけないでちょうだい」と私たちに求めてきただけなのです。
あるいは子を通じて自身の恨みを晴らしたくて、「完璧さ」を求めてきただけなのです。
そもそもが子どもにとって無理な要求だったのです。
小さい頃、人を愛する能力のない親に育てられた人は、どうしても自分は他人に嫌われていると思ってしまう。そして親は自分にとって重要な人間であるから、自分でも自分を嫌いになってしまう。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.224
親に嫌われていることはわかっていたし、自分も親を嫌いだったが、そう感じないようにしていた
自分を嫌いな人は他人も嫌いである。さてもし親がものすごい自己嫌悪の人であったらどうだろう。子供である自分が嫌われるのは当りまえである。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.225
「自分を嫌いな人は他人も嫌い」これ、たしかにそうだなと思います。
私自身も自己嫌悪が最もひどかった頃、「周りの奴全員嫌い」と思っていましたので。
今思うと異常な精神状態なのですが、いつもイライラして泣き出しそうで、「私のこと認めない奴みんなクソ」みたいな感じだったんですよね(おそろしい)。
もしこの精神状態のまま子どもを持てば、当然「周りの奴全員嫌い」の「周りの奴」の中に子どもも含まれてしまうわけです。
そりゃもう、理由なく嫌いですよね。全員嫌いなんだもの。
表面上は「子どもが言うことを聞かないから」だとか、なんだかんだと理由をつけるんだとは思うんです。
でもほんとうは、「嫌い」が先にあるから、理由を見つけに行っているのだと思うのですよ。ある意味こじつけというか。
親は子供を嫌いである。しかしそのことを親は自分にも隠している。親の本心に気づいている子供は、自分が嫌われていることを知っている。しかし親は子供が自分の本心に気づくことを禁じている。子供は嫌われていると知って、自分も親を嫌いになる。
しかし親を恐れているので、嫌い嫌われているという感じ方を子供は抑圧する。そして愛し愛されていると思い込む。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.225
これほんと、すごくわかる。
「本当は私のことあんまり好きじゃないんだろうな」というのは幼少のうちからなんとなく感じていました。
ただ、「親から嫌われているし、自分も親のことを嫌っている」とはっきりと認めることはできませんでした……。
ようやく認められたのは20代もなかばになってからでした>>>就職試験の真っ最中に「母のことが絶対的に嫌い」と気づいてしまった
ようするに自分を嫌いな人間は、とらわれの身だったのである。単なる捕虜は身体的にとらわれても、自分をとらえた者を憎むことができる。しかし自分を嫌いな人間は、それすら禁じられてきた。
現実のなかでの自分の位置、心の底の実際の感情、それらに眼をそむけて生きてきた人が何となく自分を嫌いになるのである。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.255
自分を嫌いじゃなくなるにはどうしたらよいのか→感情の抑圧をやめて素直に生きよう
嫌いな人を「嫌い」と思うことすら許されなかった。
心までも拘束されてしまった結果、いつも自分が自分と喧嘩しているようなちぐはぐ感がありましたよね。
だから、本来は味方なはずの自分までもが敵になり、自分のことも嫌いになってしまった……。
つまり、感情を抑圧させられたことで、自分を嫌いになってしまったわけです。
ということは、自分嫌いから抜け出すには、感情を抑圧することなく素直に、ありのままの自分を認めて、生きていくしかない。
自分を嫌いという感情から抜け出すためには、ありのままの現実に眼をむけ、それを受け入れることである。
それはえらく難しい。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.228
いやほんと、これがほんとうに難しいのですよねえ。
しかし、認めるしかないと著者はいいます。
・親に愛されていなかった
・愛されたくて必死で自分を偽ってきた
・それも無意味だった
・理想の自分と現実の自分のギャップに絶望している
・それが精神の不調につながっている
・本当は「理想の自分」になりたいわけでもなくて、適当に生きていたい
……etc
このへんのことを「私はそう思っているんだなあ、けっこうクズだなあ、まあしかたないなあ」と認めることが、自分嫌いから抜け出す第一歩なのだと思います。
親の愛などなくたって人間は生きていかれる。生きていかれなくなるのは、なくても生きられるものをなければ生きていかれないと勘違いするからである。
親の愛はあるにこしたことはない。しかしないのにあると思い込もうとするから、生きることが難しくなるのである。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.229
たしかに、「親から愛をもらえなかった私はとても生きていける気がしない」と一時期は思っていました。
でも、いま、全然生きているんですよね。
むしろ「親から愛されることは一生ない」とはっきりわかって、絶縁してからのほうがよほど楽しく生きられています。
まあ、この「親から愛されることは一生ないんだ」とあきらめるまでがなかなか大変だったのですけれどもね。執着になってしまっていますから。
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おわりに
・感情を抑圧させられたことで、自分を嫌いになってしまった
・自分嫌いから抜け出すには、感情を抑圧することなく素直に
・理想の自分と実際の自分にギャップがあるから神経症的になる
・ありのままの気持ち、実力などを自分が受け入れるしかない
・親の愛はなくても生きていける(そう思えるまでが大変なのですが……)
参考文献