親の存在が苦しい人のためのブックガイド

おもに親子関係や人間関係の本の感想です

毒親が否定ばかりしてくるのはなぜかー否定は自己防衛の最終手段|『愛されなかった時どう生きるか』⑭

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加藤諦三氏の愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学 PHP文庫を読みながら、学び、感想をまとめ、今後の生きる力にしていきます。

本記事のポイント

・否定ばかりしてくる人は、「周囲を下げることで安心したい」
・つまりは自己防衛をしている
・否定を鵜呑みにしていると、相手の意図の通りに「下がってしまう」
 →気をつけよう

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毒親あるある

毒親・機能不全家族育ちの人にとってあるあるなのが「ほめられたことがほぼない」「異常に躾に厳しかった」「なんでもかんでも否定された」らへんではないでしょうか。

子どもとしては「親が正しい」のだから、それらの否定的意見もまた「正しい」と思わねばならない。
もし反論でもしようものなら「あっそ、じゃあ出ていきなさい」となって生きていけませんから。

否定、悪口、文句などを浴び続けて私が実感したことは、これらの言葉は、軽微な毒のようなものであるということ。

いわゆる「発がん性物質」なんかによく似ているなと思います。
一度や二度摂取したくらいですぐにどうなるわけでもないけれど、長い時間をかけて病気の元になりうる。

否定の言葉もまた、何年も浴び続けていると、心に毒が溜まっていって、内側から蝕んでくるのです。

その”病の元”だけならまだしも、生活習慣(=否定的なものごとの見方)自体が身についてしまっているわけです。

これは、楽器やスポーツでいうところの「フォーム」に相当すると私は思っています。
間違ったフォームで運動し続ければそのうち怪我をするのと同じで、心の使い方を間違えているとそのうち心を壊してしまうわけですね。

否定的なものの見方って、これほどにも害悪のあるものなのに、毒親たちはほぼ無意識でやっています。むしろ「よかれ」「教育」と思ってさえいる。
それはなぜなのか。

自己防衛の最終手段が「他人への非難」

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 自分が望むようには他人は自分を認めてはくれない。しかし他人に認められることを必要としている。この心の葛藤を解決する方法として他人を否定するという方法を使っているのであろう。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.220

親から愛されずに育つ
→愛されること・認められることに固執してしまう
→しかし他人は認めてはくれない
→ますます自分に失望
→自己防衛として他人の上に立とうとする
→実力で叶わない場合は周囲を下げる必要がある
→他人の否定


というような流れでしょうか。

他人を否定することで、「自分よりも下の人がいる(のだから私は生きていてもよい)」と思って、一瞬安心できるのでしょうね。

ゆえに、やめられないどころか、不安が強ければ強いほど、自信がなければないほど、やってしまうのでしょう。

歯止めがきかないからこそ、「教育」「しつけ」「あんたのため」などと正当化したくなるんでしょうね。

まあ、親は親で、その親から愛されなかったからこうなってしまっているわけなんですが。

(※だからといって手放しで許されるとは思っていません。親(大人)ー子(幼児)という権力勾配があるのだから、圧倒的に弱い者に権力をふりかざすのはずるいからです。どこかで気づいて反省してもらいたかったですが、まあ、そういう俯瞰する能力がないから、「ああいう親」になってしまっているのですよね……)。

 かくて他人とのつながりを失ってしまった者がよくもっているのが「否定の哲学」なのである。しかし言葉の上でどんなに否定してみても、それによって自分の依存性がなくなるわけではない。いまの不安がなくなるわけではない。否定することで実は他人の上に立とうとしているのである。
 それだけに時に否定の言葉が激しいものとなる。
加藤諦三「愛されなかった時どう生きるか 甘えと劣等感の心理学」PHP(1989)p.220


私自身も若いころ、どうしてもネガティブな面にばかり注意が向いてしまい、言葉に出さずとも、人に対して否定的なイメージばかり抱えていました。

私自身も自己防衛のかたまりだったわけです。

けれど、否定的なものの見方をしている限り、ちっとも幸せではありませんでした。

周囲のさまざまなことを否定して溜飲をさげつつも、もうひとりの自分がそれを見ていたのです。

「なんか、私、イヤな奴だなあ」と。
その感覚はお腹の底がぞっとするような、薄気味悪い感覚でした。

だから、他人を否定していると同時に、自己否定感も強まっていくんですよね。

いちゃもんばかりつけてくる人(※)は、同時にその人自身を攻撃しているわけなので、「気の毒だなあ」と思うくらいでいいのかもしれません。

(※発達障害などでこだわりが強いせいで、まったく悪気がないタイプの人もいます。「毒親」の多くは実は発達障害だという説もあるらしいので……障害であるならば、こればっかりは直しようがありませんし、結局距離をとるしかないのかも)

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おわりに

私自身も否定的なものごとの見方をしていた時期があるので身につまされるのですが、否定ばかりしてくる人は、「周囲を下げることで安心したい、つまりは自己防衛をしている」ということなのでした。

(もちろん、人それぞれ感じ方は違うので、「否定」の全部が全部自己防衛とは言えないでしょうけども)

「周囲を下げるための否定」を鵜呑みにして、自分を変えてしまうと、相手の意図の通りに「下がってしまう」ので、気をつけたいと思いました。

私自身が親の「言うこと」を聞いて、人生がどんどん望まぬ方向にいってしまったのは、これのせいだったのだな、と改めて感じます。

否定されると「うっ」となって、動揺したり、認められようとしてしまいますが、そういうときこそ、「相手はただ自己防衛しようとしているのでは?」と冷静に見ることが大切ですね。

その上で、相手からの言葉が「たしかに」と思い当たるなら直せばいいし、そうでないなら、自分の意見のほうを大事にすればよいのだと思います。