最初に読んだときはピンとこず、2回目になんとかブログ記事にはしたけれど、ぼんやり。
このたび、3回目を読んだら、かなり腑に落ちた、という本です。
私がもがきながらやってきた回復の試みが、本書とおおむね一致していて、「ああ、これでよかったんだ。私、合ってたんだ」と確認できました(自分の気持ちに従ってやってきたことが、結果的にこの本と一致していたという感じ)。
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どんな本?
死別や虐待といったわかりやすいケースに限らず、一見「普通の家庭」に見えても、愛着が不安定なケースは多いもの(親の愛着スタイルが伝達するので)。
では、愛着が不安定だと気づいたら、どうしたらよいのか。
愛着の傷を癒し、不安定な部分を補うために、必要なこと、できること、ヒントを教えてくれる本です。
お医者さんが書いているので専門的ではあるものの、ちょっと客観的と感じるというか……やや読みにくさはあるかも。
当事者よりも、医療者や、「身近に愛着障害の人がいて、その人のことを理解したい」周囲の人に向いているかもしれません。
回復のプロセスはとても参考になりますので、当事者の方は第六章の「愛着障害の克服」だけ読むのでもいいかも。
感想記事
自身の愛着の不安定さを知ろう
ひとことに「愛着」といっても、大別して4タイプ(安定、回避、恐れ、恐れー回避)ある。
困難さの出方はタイプごとに異なるので、まずは現在地を知ることから。
本書には自己診断用のテストが記載されているので、テストをしてみて、該当タイプの解説を読んでみました、という話↓。
克服のポイント
愛着スタイルが判明したところで、具体的にどう改善していけばいいのか。
→「安全基地」はいざというときに頼ることができて守ってもらえる場所。
しかし、安全基地がなかったからからこそ「愛着障害」になってしまっているわけで。
ならば、パートナーであれカウンセラーであれ、「なんでも話せる人(安全基地)をもつ」ことが大事だと著者はいうのですが……
これもまた相性や運、相手の器の問題もあるし、正直、そう簡単に見つかるものではないと私は思います。
そういう人は、本やブログなども(気をつけて使えば)安全基地になりうるよ、という話。私自身も本とブログが安全基地になりました(結果的に)。
自分の気持ちを吐露できる「安全基地」を確保したら、愛着の傷を癒していくフェーズに入ります。
→子どものころに満たすべき感情を満たせていないので、まずはそれを取り戻すプロセスが先。
たとえば私の場合は「わかりやすくかわいい服(キャラクターものなど)」を着たい欲が30歳過ぎても手放せず、周囲にギョッとされながらも着たりしていました。
服に限らず、小学生にまじって習い事もしたりしました。
「いい大人がこんなことして恥ずかしい」という思いももちろん頭の片隅にあるので、ちょっと勇気は要るのですが、やってみてよかったです。
「あーあ、ほんとは〇〇したかったのに」という恨みが薄まってきて、けっこう満足感ありました。
ただ、それだけで回復するほど簡単な問題ではないですよね、もちろん。
未消化の感情を言語化する、これ↓が本丸となります。
環境的に、悲しいとか苦しいとか辛いと、思ってはいけない場所で育ってきた。
自分さえ我慢すれば、と思ってきたのですよね。
でも、そうやって長年押し込めてきた悲しみは、悪い方向に発酵して(つまりは腐り始めて)しまっていて、足を引っ張ってくるのです。
そうなると人生がうまくいきません。
私の場合、親の話になるとどうしても「ぶつぶつぶつぶつ、うらめしやぁぁぁあ……」モードに入ってしまっていました。
楽しい話ではないから聞かされるほうだって重いし、明らかに場の空気を悪くすることはわかっているのに、どうしても、どうしても体から出さずにいられなかった。
だから、自分で自分の悲しみを一つひとつ取り出して、「ああ、あれは悲しかった、つらかった、大変だった」とじっくり感じ直す過程が必要でした。
これを全部聞いてくれる人がいるなら話せばいいのですが、正直、現実的ではない。
どんなに優しい人でも、いつか耐えられなくなるだろうと思います(カウンセラーならお金を払うので可能ではありますが、時間に限りがありますからね)。
だから私は、自己完結型の「書きつくす」をやりました。
実例→私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか (~24歳)
健全な家庭で育った人がこれ↑を読んだら、「親にも問題があったのかもしれないけど、この人(私)も引きずりすぎじゃない?」と思うでしょう。
それでも、どんな小さなことでも、書きつくす必要がありました。
放っておいたら、それがじくじくして膿んでくるから。
思い出して苦しくなってしまうことも多々あるので、一気に出し切ろうとはせず、週1回くらいで気が向くときに書きました(だからブログという媒体とも相性がいい)。
そして、さんざん書き散らし終わった現在、かなり整理がつき、スッキリした心境です。
(※)ただし、負荷がかかりすぎる可能性もありますので、無理はなさらないでください。精神科にかかられている場合などは、医師の指示に従ってください。
(3)悪いほうに考えすぎるのをやめるために自分なりの役割をもつ
毒や膿を出し切るとだいぶ心身とも軽くなります。
ただ、なんだか「あとひといき」感は、まだちょっとぬぐえずにいます。
それはなぜかというと、愛着障害の人は、親から否定されてきているので、「否定的なものの見方」がクセになっているから。自分に対しても周囲に対しても。
危険な人を疑うことは大事なのですが、だれかれ構わず人を疑ってばかりいると、相手にも伝わってしまい、あまりいい関係も築けなかったりするんですよね。
だから、この否定的認知から抜け出したほうがよりよい。
じゃあどうしたらいいのか、というと「役割をもつこと」と著者はいいます。
「役割」と聞くと、肩に力が入ってしまいますが、「気軽にできることをやってみる&それを続ける」でよいそうです。
私の場合は、このブログを書くことで、同じ悩みを抱えている方の参考になればいいなと思って続けています。
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おわりに
振り返ってみると、本書の解決策に書いてあることと似たようなプロセスを踏んできており、「ここに答え書いてあったやん」なのですが。
とても悩んでいた頃は、この本を読んでもなかなか内容が入ってこなかった。
たぶん、読む(インプット)よりも、過去の未消化の気持ちを吐き出すことのほうが先だったんだろうと思います。
空間ができないと、入ってこないですもんね。
お腹いっぱいのときにおいしいデザートを食べてもイマイチ味わえないのと同じですね、たぶん。
だから、本書のような客観型・解決型の本がピンとこない方は、当時者目線の本のほうが向いているかもしれません。
「そう、そう、そうなのよ、私もこうだった/もっとひどかった」とか、気持ちを出せるから。
当事者目線の本だと、私は加藤諦三先生の本に救われてきました。
核心をついてくる面もあり、厳しいと感じる方もいらっしゃいますので、読んでみてアレ?という感じなら別の本を探してみるのがおすすめです(十年前と違って、最近はいろいろ出ていますからね。「気が楽になる」ものでよいのです)。
『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』記事一覧
克服のポイント
(3)悪いほうに考えすぎるのをやめるために自分なりの役割をもつ