親の存在が苦しい人のためのブックガイド

おもに親子関係や人間関係の本の感想です

愛着障害克服のポイント(2‐2)傷ついた体験を語りつくす・書きつくす|『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』より

自分の愛着スタイルが不健全なものだと判明したら、どうやって克服していったらよいか。

(1)安全基地をもつ(なんでも話せる人をもつ、いなければブログもおすすめ)

(2)親との関係でできた傷を修復する
 ↳(2‐1)幼い頃にやりたかったことをやり直す
   (2-2)傷ついた体験を語りつくす・書きつくす→本記事はこれ

(3)役割と責任をもつ

引き続き愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書)を参考に学んでいきます。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 

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愛着障害を克服のポイント

親との関係で負ってしまった傷を修復するために

★ 傷ついた体験の言語化

 子どものころに傷ついた体験は、たいてい心の隅に押しやられ、はっきり言語化されないまま、もやもやとした記憶として心に巣食っている。そうした言語化の不十分な情動的記憶というものが、その人の心や行動を無意識のうちに支配し、ネガティブな反応や感情の暴走、解離といったことを引き起こす原因になる。そのため、まず、そうした記憶を再び活性化することが必要である。

愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書)p.281


言語化されずにモヤモヤしたり疼いていた傷が、行動を支配したりネガティブな方向に引っ張ったりするので、そういった膿を外に出してやることが必要なわけです。

しかし、この言語化はとても難しいもの。

著者によれば、最初のうちは「いや、別になんとも思っていない」とか「気にしていない」と、問題の存在自体を否認する場合もあるそう。

たしかに私自身も、24歳ころにはっきり認識するまで、「うちの親、ちょっとアレなんだよなあ…」とは思いつつも、「比較的恵まれた環境で育った」と思い込んでいましたから。

それはなぜかというと、「あんたは恵まれてる」「あんたはいいね」などと日々言われ、(ある意味)洗脳されていたからなんですよね。

ただ、これに関しては母に悪気はなくて、素直な感想だったのかもしれません。
戦時中に生まれた母からすれば、そもそも日本の環境自体が格段に良くなっていたし。
また母は、太っていることや勉強が苦手だったのをすごく気にしていたのに対し、私は父に似てやせ型で、勉強も困らない程度には得意だったこととか。

けれど、私の立場からすればそういった表面的なことじゃなくて、「あれはダメこれもダメ」ばかりで、日々何かしらを否定され、いきなり理不尽に八つ当たりされたり、一切共感してもらえないなど、そちらのほうがよほど本質的な問題で、とてもとても孤独で、堪えていたのです。

でも「あんたは恵まれている」のだから、文句を言ってはいけない……

だから私は、「怒り」「悲しみ」「寂しさ」といった感情に、「正論」「~ねば、~すべき」などの抑圧思考でガチガチのコーティングをかけたのだと思います、無意識のうちに何層にも。

たとえるならグミチョコのイメージ(グミ:感情、チョコ:正論)。

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本当はやわらかいグミなのに、チョコでコーティングして冷やし固めて、「私はチョコです」と生きていたわけですね。

だから、「あなたは実はやわらかいグミなのでは(=育った家庭に何かあって傷ついているのでは)?」と問われても、「いいえ、私はチョコですよ(恵まれていると言われ続けたので恵まれているはずなんだが?)」みたいになっていた。

★怒りや悲しみを書き尽くす

就職試験の真っ最中に「母のことが絶対的に嫌い」と気づいてしまった後、それまでの反動からか、制御しがたいほどの怒りがわくようになってしまいました。

本書にもこうあります。

その段階を越えると、次は、否定的な感情ばかりが語られる段階に移行する。この段階では、傷つけられた怒りや悲しみを、恨みつらみを込めて叩きつけるように語り続ける。それは、傷が深いほど、傷を与えられた期間が長いほど、長期間続くことになる。その間、執拗なまでに否定的な感情が語られるが、そうすることが修復には必要なのである。

愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書)p.282

まさにこんな感じでしたね……。

ものすごく怒りや恨みがこもってしまい、話し相手をギョッとさせることはわかっていたので、わざわざ人前で親の話を持ち出すことはありませんでしたが……
それでも何かの拍子で親の話になると「ぶつぶつぶつぶつ……うらめしやあ」となってしまっていました(→それでもだいぶ抑えているつもり)。

「さすがにこれはいかんな、関係のない人に不快な思いをさせてしまうな」と思い、自分のために書き始めたのがこのシリーズでした↓。

【もくじ/記事リスト】私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったのか (~24歳)

 

書くという行為は、ある意味、愛着障害の自己治癒の試みと言えるかもしれない。

岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』光文社新書(2011)p.284

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(★ 聞いてくれる人がいるなら語り尽くすのもよい)

私の場合は、誰かにすべて語りつくすことは気がひけたので、自己完結型の「書く」という手段に走ったのですが、安全基地となって受け止めてくれるような人(親友、パートナー、カウンセラーなど)がいる場合は、語りつくすのもよいと思います。

否定的なことを一切言わず、丸ごと受け止めてくれる存在に、自分の身に起きたことを、味わってきた思いとともに語り尽くすことが重要なのである。
岡田尊司『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』光文社新書(2011)p.282

しかしまあ正直、「否定せずにずっと聞いて受け止めてくれる人」なんて、そうそう見つかるものでもないですよね。
プロのカウンセラーにお願いするにも、相性がありますし、時間が限られていますから。

時間や場所を選ばずに気持ちを吐露できる利点もあるので、私自身は「書き尽くす」のほうが向いていました(※)。

※ただし、精神科などにかかられている場合は医師の指示にしたがってください。負荷がかかりすぎると危険な場合もあるかもしれないので、無理はなさらないでください。

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おわりに

親との関係でできてしまった傷を修復するには、体験的なプロセス(幼児期をやり直す)とは別に、傷ついた体験の言語化も重要という話でした。

否定せずに根気よく聞いてくれる人がいるなら、語りつくす。
いないなら、書き尽くすのがおすすめです。