ししもとのAC回復ノート

親の呪いを解いて自分の人生を生きる

愛着障害克服のポイント(2‐1)幼い頃にやりたかったことをやり直す|『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』より

「愛着」は母親との関係性によってつくられ、その人の生き方にも影響するもの。

自分の愛着スタイルが不健全なものだと判明したら、どうやって克服していったらよいのか。

(1)安全基地をもつ(なんでも話せる人をもつ、いなければブログもおすすめ)
(2)親との関係でできた傷を修復する
   ↳幼い頃にやりたかったことをやり直す(→本記事はこれ)
   ↳つらい体験を語りつくす・書きつくす
(3)役割と責任をもつ

引き続き愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書)を参考に学んでいきます。

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

 

 

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愛着障害を克服のポイント

その2 親との関係で負ってしまった傷を修復する

愛着の傷(死別や虐待に限らず、親からいつも否定されたとか、ほかの兄弟ばかりをかわいがったとか、親の期待や都合ばかり押し付けられたなど)は、いきなりどうにかしようとしても、ブロックや抵抗があってとても難しいと著者はいいます。
私自身の経験からも、本当にそう思います。

なので先にやることがある、と著者はいいます。

 認知的な修正よりも、もっと大事なプロセスがある。そのプロセスとは、言ってみれば、幼いころに不足していたものを取り戻すことである。

愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書)p.267

 

★ 幼い頃にやりたかったことをやり直す

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 愛着障害を抱えた人が良くなっていく過程で、「母親と布団を並べて寝たい」とか「抱っこしてほしい」と言い出すことがよくある。それは、幼いころの心理状態が再現され、そのとき得られなかった愛情を今も与えてもらうことで、傷を癒そうとしているのである。
愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書)p.267-268

わ、わかるー!!!!

ほんと、「抱っこしてほしい」はもう、子どもの頃からずっと、どうしようもなく切実にありました。

でも、こういった願望を親に言おうものなら、それこそ「頭がおかしい」などと言われたり親戚にいいふらされたりして嫌な思いをするので、小学生の時点でもすでに言えませんでした。

大人になってからでも、親の代理として、恋人やパートナーがやってくれればいいのですが、こればっかりは、縁も運も関わってくるのでコントロールしきれない。
冷たいパートナーだと気分次第で「は?なにいってんの?」→からの傷つく、になりかねないし。

じゃあ、人間関係に恵まれなかったらどうしようもないのか。
いえ、自分でできることもあるのです。

たとえば本書の例では、20代の青年が幼児雑誌を欲しがった例が載っていました。
「めばえ」→「よいこ」→「幼稚園」→「小学一年生」と段階を経ていくうちに満足していったそうです。

お恥ずかしながら私も、30代になってもなお、「子ども服のようなかわいいデザイン(キャラクターがプリントされていたりとか)」の服が着たいという願望からなかなか卒業できませんでした。

振り返ってみると、母が「お嬢様」や「上品そう」にこだわっていたため、私は赤ちゃんの時点でシックなグレーや紺のものを着せられていました(→母による「あれはダメこれはダメ」で学習性無気力に)。

それでも、たいていは10代のうち(反抗期とか)に解消するのでしょうが、その頃はその頃で「色気づいて気持ち悪い」と言われないよう、必死で少年風の格好をしていたので……わかりやすい「かわいいもの」を通過できなかったのですよね。

自由に生きるようになった(といっても小出しに、でしたが)のは母との絶縁後、30過ぎてからでしたので……
「今日はお気に入りの、このかわいいシャツで行っちゃおう」と出かけたときほど、会う人が明らかに「ギョッ」としていたので、実年齢と完全にズレていたのだろうと思います。
慌てて「ファンタスティックババアですみません💦」などと自虐してその場を取り繕っていましたが。

「あー、またギョッとされちゃったな、、、」と思いつつもやめられなくて着続けていたら、しばらくして折り合いがつくようになってきました(かわいいものを身につけるにしても小物にするとか、悪目立ちしないように調整できるようになった)。

今思うと、子どもっぽい服は別に我慢しなくても家で着ればよかったのに、と思うのですが、なぜかどうしても外に着ていきたかったんですよね。

たぶん、子どもが大人から言われるような(女性としてでてはない)”かわいい”を言われたかったのだと思います。
まあ、年齢とのギャップのせいか、ほぼ言われませんでしたが……でも、着るだけでも満足できた部分はありました。

 人は子どものころに足りなかったものを補うことで、成長の偏りを自ら修正しようとするのだろう。そうした不足を知らずに育った者からみれば、そうした行為は、一見奇矯であったり、滑稽に映るかもしれないが、そこにあるのはそこはかとない悲しみや寂しさであり、満たされぬ思いなのである。それをできるだけ早い時期に満たしてやれば、ある程度取り戻すことも可能なのである。
愛着障害~子ども時代を引きずる人々~ (光文社新書)p.277-278


服以外でも、少女マンガ雑誌(「りぼん」禁止令だったので)も買ってみたり、受ける予定ないのに通わされた中学受験用の塾のせいで読書ができなかったことを恨んでいるので、しこたま図書館に通ったりしました。
小学生にまじって習い事すらしました(汗)。

それから基本的に「仕事は最低限にして、できる限り気ままに暮らす」のは今でも心がけていることです。

仕事を最低限にすると当然収入もそれなりなので、将来への不安がないわけではないですが、傷を癒さないまま無理に進んでも、いずれどこかでつまずくと思う(過去そうであったように)ので、しっかり気持ちを癒すことを優先しています。

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おわりに

親との関係でできた傷を癒すために、まずは「子どものころやりたかったこと・できなかったことをやり直す」という話でした。

最初は「いい歳してこんなこと……」と思ってしまうかもしれませんが、思い切ってやってみると、私は結構満足感ありました。

ただし、身近に否定・批判的な人がいると、かならず「いい歳して云々」などを言ってくるので、そういった人の目につかないようにしておくのが安全です。

余計に傷ついてしまうことのないよう、そこらへんの制御は大事ですね。

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