アドラー心理学、流行っていますね(もうブームも収束してきたかな)。
一般向けの本もたくさん出版されて、私も何冊か読んだのですが、しっかり理解できたかというと、まだ微妙な気がする。
というわけで、読みやすそうな本を手にとりました。
岩井俊憲『男と女のアドラー心理学』(青春出版社・2017)
どんな本?
著者は夫婦カウンセリングを得意とされていることもあり、夫婦関係に悩んでいる方向けの本です。婚活世代や恋人同士の関係についても触れられていますが、メインテーマは夫婦のこと。
私自身は独身なので、「ああ、こういう話よく聞くなあ」とか「うちの親もこんな感じだったなあ」とか、少し距離を置いて読みましたが、夫婦関係がうまくいかないとお悩みの方にはすこぶる役立つと思われます。
よかったところ
私自身が独身なので、独身者向けのところばかりになってしまいました。
(※読む人の立場によって全然変わってくると思います)
結婚相手を決めるには準備期間が必要
昔はお見合いが主流でしたが、今は婚活サイトや結婚相談所を介して結婚、というスタイルが増えていますね。
私の知人にも多いです(男性のほうが多い気がする)。
紹介後、だいたい一年くらいお付き合いして結婚、というのがスタンダードなパターンのようです。
そのような結婚のスタイルももちろんアリだと思いますし、実際うまくいってる方もたくさんいます。
「これは嫌」という条件を避けて紹介してもらうわけなので、理に適っているなあ、と思うところもあります。
ただ、あくまで個人的にですが、ちょっとひっかかりもする。
私が気にしすぎなのかもしれませんが
「出会って一年やそこらで、相手の本質がわかるんだろうか」
と思ってしまいます(気分を害された方、独身の戯言ですので、スルーしてやってください)。
お付き合いして一年くらいだと、まだまだ好調な時期だと思うのです。
三年~四年経ってやっと、お互いの粗が見え始める気がするのです(どんなに好きな人の場合であっても)。
経験上、三~四年の山を越えられるかどうかって、すごく大事な気がしています。
その山を越えずに結婚してしまうのって、一生を共にするって決めてしまうって、大丈夫なんだろうか…と思ってしまうのです。
もちろん、子どもを産みたい方などは、時間的な制約もありますし、そんな悠長なこと言っていられない、という事情もあるのでしょうが。
私の両親は、旅行先で出会い、その後は遠距離恋愛だったため、お互いを偽ったまま(ええかっこしたまま)結婚してしまったので、後になって絶望的に合わないことが発覚したケースです。
発覚した時点で別れてくれればよかったのですが、お互い決断力がないためダラダラと時間が過ぎ、私が生まれてしまいました。
両親不仲の被害をもろに受けたのは子である私で、その経験によって、結婚に対して良いイメージを持てなくなり、こんなふうに婚活についてもネガティブなことを思ってしまうのかもしれません。
そんな背景もあって、「出会って一年やそこらで本当に理解しあえるのだろうか」という疑念は常に頭をもたげていました。
すると本書にこんな文面が。
私は、夫婦とは、ともにつくりあげるものであって、ステータスや見かけで判断して結婚するものではない、と思っています。
引用元:岩井俊憲『男と女のアドラー心理学』(青春出版社・2017)p.80
おお、私と同じ意見!
ちなみに私の母は、父の将来性(大学に残って勉強していたらしいので、当時としてはエリート候補に見えたのでしょう)等に目がくらんだ人です。
ステータスや見かけで判断して、その後うまくいった場合は全く問題ありませんが、性格や考え方が合わないと本当に悲惨です。
我が家の場合、父と母の考え方があまりに違いすぎるので、私は常にダブルバインドの状態にあり、自分が二つに引き裂かれるような思いをしてきました。
とはいえ、長年おつき合いし、理解しあってから結婚したように見える夫婦であっても、うまくいかなくなって離婚してしまったケースも知っています。
では具体的に何が大事なのか、というと。
私は住む家を決めるために、70~80軒の家を見て歩きました。そのなかから、一生住むつもりで、今の家を決めました。
結婚もそれと同じです。一生つき合う人を選ぶという点においては、容姿や経済力やブランド力だけではなく、もっと選択肢を増やす必要がある。そこに至るまでは、別れたり、振られたり、いろいろなことはあるだろうけども、そのなかから決めたほうがいい。
引用元:岩井俊憲『男と女のアドラー心理学』(青春出版社・2017)p.81
一人の人をじっくり見つめる期間を持つというのも大事ですが、いろんな人を見ておく、ということもまた大事だということですね。
確かに、一生使おうと思うものは、洋服やアクセサリーですら、いろいろ見てまわりますしね。
同時に、自分を知っておくということも大事なのだろうな、と思いました。
どんなに好きなデザインの服でも、どうしても似合わないとか、肌触りがしっくりこないとかで着心地が悪いということもあります。
それと同じで、どんなに良好な相手でも、居心地が悪いということもあるわけです。
この「自分にとって何が心地よいか」は、ある程度いろんな人を通してみないと、見えてこないのかもしれません。
頭でわかってはいても、その時々で焦りがあったりして、理想通りにはいかないものですけど…。
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愛とは何か
フロムやアドラーが愛とか結婚をどう定義していたか、というのは本書に任せるとして、私がいいな、と思ったのは、アドラーの高弟、ルドルフ・ドライカースの言葉です。
Love is not an emotion.Love is a relationship.
(意訳:愛とは、感情というよりは、うまくいっている人間関係の副産物である)はじめに「愛情」というものがあって後から関係が築かれるのではなく、うまくいっている人間関係のなかに、いつの間にか愛が生まれる、というわけです。
引用元:岩井俊憲『男と女のアドラー心理学』(青春出版社・2017)p.84
まずは「愛情」ありき、だと思っていました。
「愛情」があるからこそ、良好な関係を構築できるのだと。
しかし、「愛情」があっても、良好な関係を築けるかというとそうでない。
私の母も、母なりに(捻じ曲がってはいますが)私に対して「愛情」自体はあったのかもしれないと思います。
ですが、彼女のコンプレックスなどと混ざり合った結果、ひどい毒親になってしまいました。
母との関係において、一度たりとも「愛」を感じたことがありませんでした。
一方、「うまくいっている人間関係」というものを自分なりに思い出してみると、いつのまにか「信頼」みたいなものが宿っているなぁ、と思います。
最初は「信頼」だったものが「ああ、この人がいてくれてありがたい、うれしい、心が温まる」といったような感情になっていくような気がしています。
それらが最終的に「愛」と呼べるものになっていくのかもしれません。
今、新しい出会いを求めている人にとっては、「愛」という目に見えないものがどこかにあって、それを探し求めている感覚かもしれません。特定の相手がいないと、余計につかみどころがないのかもしれません。
でも本当は、愛とは、ちゃんとした人間関係が成立してからようやく生まれてくるものなのです。
引用元:岩井俊憲『男と女のアドラー心理学』(青春出版社・2017)p.85
この文章、とても響きました。
相手が自分のことを好きかどうかとか、愛してくれそうかとか、そんなことを気にするよりも、まずは良い人間関係を築くのが先だ、ということですね。
相手の気持ちは相手にしかわからないし、こちらにコントロールできるものでもないので、それを気にしても苦しいだけですが、「良い人間関係を築く」という心がけならば、誰にでも、すぐにでも、できることです。
おわりに
夫婦関係・パートナーとの関係がうまくいかないのは、コミュニケーション不足が根底にあるとのこと。
そういったコミュニケーション不足をどう解消するか、本書では、いろんなケースに対する解決策を提示しています。
誰が読んでも、それなりに参考にできるところがありますし、読みやすかったです。
結局のところ、「相互尊敬・相互信頼がベース」。
相手を理解すること、自分を理解すること。
相手を理解しないと、相手にとって何が「優しさ」なのかすら、正確にはわからないし、自分を理解しないと自分のことを相手に説明できませんから(自戒を込めて)。
相手のことなんか一ミリも理解したくもない、という状態までこじれてしまっているのなら、それはもう、離れた方がいいのかもしれませんね。
アドラーの考えをベースに、良い方を考える本も参考になると思います。
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