私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったか(実体験)
「あなたは良いんだけど、お母さんがね」という言葉には、そのままの意味とそれ以上の意味を含んでいました。正しいことではありましたが、中学生当時の私にはとてもショックでした。
クラス替えで「1組」や、学年主任の先生のクラスにならないと母の機嫌が悪かった話です。
母の機嫌をとるべく、体育でも良い成績がとりたかった私は、休むべきときにプールに入ってしまい、恥をかいた(&迷惑もかけた)話です。
「娘が女性として成長していくのを喜んでいない」ということ、母は口には出しませんでしたが、私は確実に感じ取っていました。
通知表の先生からのコメントを過剰に気にする母にうんざり。しかしスルーできず、ますます自分を追い込んでしまいました。
くだらないマウントをとるような人間の言いなりになってしまったことはとても愚かなことだった、と反省しています。
「内申点」を気にして、「いい子」でいつづけねばならなかった中学校時代、とてもきつかった。
小学校の卒業式で言わされた「親への感謝」。どうしても言いたくないのは反抗心と思っていたけど、もう母のことが嫌いだったのだと今になって思う。
たかが天然パーマですが、「私は汚い」という自己評価を持っていた私にとっては、「ますますキモくなってしまう」という恐怖感との闘いでした。
「ずれている人」の意見を参考にしていると、結果的に自分自身が「ずれている人」と見なされてしまう
学歴コンプレックスの強かった母に、中学受験用の塾に通わされたものの、だたひたすら自信を失っただけでした。
毒親エピソードでよくある「下着を買ってもらえない」件。 私の場合は「メガネ」でした。
小学生の頃、とても楽しみだった『りぼん』を禁止された話。楽しみを取り上げても何もいいことはない。
外出先で戸締りが気になって帰宅せずにはおれない母。見捨てられ不安からの確認行為も子どもとしては辛かった。
「同級生に負けない」ために、さほど興味もない習い事をしていたこと、遊ぶ時間がなくてつらかった、という話です。
子どもの頃はめったにお風呂に入れなかったこと、そこから「私は汚い」という観念を強めてしまった、という話
真似したくなくても、親の悪癖をコピーしてしまっていたと気づいたできごと。
私にとっては 「汚部屋=母に汚染された私の象徴」 でした。
母は、「こんなに出来る娘を育てた自分(母)は偉い」という謎の理論で、娘を使って己の劣等感を癒そうとしました。しかしそのやり方は誰一人幸せになりません。
最近の概念でいえばADHDの疑いがある母。ですが、一昔前にそのような概念は一般家庭にはなく、トラブルの一因でした。
自分にとって都合のいい人以外は「全員敵」だと、時間の経過とともに世の中のほぼ全員が「敵」になっていきます。
同じ屋根の下で暮らす祖父母とろくに会話もできない環境でした。不機嫌で人をコントロールすることは恐ろしいことです。
夫婦喧嘩の後、母から試し行為をされるのがとてもつらかった。相手の言ってほしいことを予測して即答するクセがついてしまったという話。
ひどく体調を壊したとき、明らかに母が引いていたため、体調を崩す可能性のあるものを徹底的に避けるようになってしまいました。
自分のミスを謝れない人は劣等感が強い&信頼を失う&トラブルを招く
子どもの頃の切なる願いは「お腹が痛くなりませんように」でした。
子どものうちから「嫌なこと」を無理やりし続けていると、やりたいことに充てる気力すら失ってしまう。
幼稚園で習った、手洗いの歌を歌っていたら、母に因縁をつけられた話です。
母は私を「言うこと聞かなければ云々」という脅しを使って、コントロールしました。のちの絶縁の理由の一つです。
「あれもダメこれもダメ」により、私は「意志を持つことはムダ」と思うようになりました。