【体験談】私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったか
高校受験を控えた中学3年の2学期は生きた心地がしなかった。
過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。本記事は、模試や資格試験の前に不安になっていると、母がカ…
怒りをかうので言えなかったけれど、イヤなものは「嫌」「やめてほしい」と伝えるべきだったかもしれない。
母が執拗に父に嫌がらせをしているのが辛かった話。 そんなに嫌なら離婚すればよいのに、離婚はプライドが許さない母なのでした。
何か不幸が降りかかったとして、それ自体はコントロールできないけれども、どういう態度をとるかは自分で選べるのだということを忘れないようにしたいと思います。
「あなたは良いんだけど、お母さんがね」という言葉には、そのままの意味とそれ以上の意味を含んでいました。正しいことではありましたが、中学生当時の私にはとてもショックでした。
クラス替えで「1組」や、学年主任の先生のクラスにならないと母の機嫌が悪かった話です。
母の機嫌をとるべく、体育でも良い成績がとりたかった私は、休むべきときにプールに入ってしまい、恥をかいた(&迷惑もかけた)話です。
「娘が女性として成長していくのを喜んでいない」ということ、母は口には出しませんでしたが、私は確実に感じ取っていました。
通知表の先生からのコメントを過剰に気にする母にうんざり。しかしスルーできず、ますます自分を追い込んでしまいました。
くだらないマウントをとるような人間の言いなりになってしまったことはとても愚かなことだった、と反省しています。
「内申点」を気にして、「いい子」でいつづけねばならなかった中学校時代、とてもきつかった。
小学校の卒業式で言わされた「親への感謝」。どうしても言いたくないのは反抗心と思っていたけど、もう母のことが嫌いだったのだと今になって思う。
たかが天然パーマですが、「私は汚い」という自己評価を持っていた私にとっては、「ますますキモくなってしまう」という恐怖感との闘いでした。
「ずれている人」の意見を参考にしていると、結果的に自分自身が「ずれている人」と見なされてしまう
私が何か主張しようとすると「娘がおかしくなった」と親戚に電話して味方につける母のやり口にうんざりした話。
本記事は、母のあまりにも「子と向き合う気のなさ」がつらかった話。 母の態度によって「私は誰にも受け止めてもらえない」という観念を強固に身につけてしまったことは、その後の人生をつらくさせました。
学歴コンプレックスの強かった母に、中学受験用の塾に通わされたものの、だたひたすら自信を失っただけでした。
毒親エピソードでよくある「下着を買ってもらえない」件。 私の場合は「メガネ」でした。
小学生の頃、とても楽しみだった『りぼん』を禁止された話。楽しみを取り上げても何もいいことはない。
悪意なく母に時間を奪われるのが苦痛でした。
小学生になってもなお、母の自転車の後ろに乗せられるときの無力感について。
「同級生に負けない」ために、さほど興味もない習い事をしていたこと、遊ぶ時間がなくてつらかった、という話です。
子どもの頃はめったにお風呂に入れなかったこと、そこから「私は汚い」という観念を強めてしまった、という話
真似したくなくても、親の悪癖をコピーしてしまっていたと気づいたできごと。
私にとっては 「汚部屋=母に汚染された私の象徴」 でした。
皮膚むしり症の症状が最初に表れたのは、幼稚園のころでした。
幼稚園のころ、ハーモニカが得意でないことに立腹した母によりハーモニカを延々と練習させられた話
母は、「こんなに出来る娘を育てた自分(母)は偉い」という謎の理論で、娘を使って己の劣等感を癒そうとしました。しかしそのやり方は誰一人幸せになりません。
ひどく体調を壊したとき、明らかに母が引いていたため、体調を崩す可能性のあるものを徹底的に避けるようになってしまいました。