【体験談】私はいかにしてアダルトチルドレンになっていったか
「母のことが絶対的に嫌い」と気づいたのは、就職試験のSPI検査の最中でした。
「あんなに頑張ってきたのにどうしてこんなに行き詰まるんだろう」と思っていましたが、頑張る方向を間違えていたのだなと思います。
あのときの私は、私のために何ができたんだろう、と考えてみると、この記事のように、恐怖感・不安・気持ちなどを書き出してみればよかった、と思います。
強迫性障害(不潔恐怖・疾病恐怖)に本格的に悩みだしたのが20代前半のころでした。
親に気持ちを抑圧され続けた結果、嫌なものを「嫌」と言えませんでした。 しかしストレスは溜まっていくので、相手のことを嫌いになり、気まずくなるという現象を、若いころは繰り返していました。
親に認められたいがために、たいして好きでもない勉強を頑張り続けた結果。理想の自分に近づくためにした努力のはずなのに、自分のことがさらに嫌いになっていきました。
本記事は、良い人ぶりたいがために、頼み事や誘いなどを断れずに苦悩したエピソードです。
苦手な人と適度に距離をとるのは決して悪いことではなく、長い目で見ると双方にとって大事なことだと実感しています
「力づくで理想の自分に近づける」ために努力していると、努力していない人のことを見下してしまうようになりました。 でもその本心は「楽しそうでうらやましい」でした。
死ねないので少しでも「マシな自分」になるしかないと思い、無理な努力を重ねるようになりました。一時的に結果は出ても、日常的に無理しているのでどこかで破綻します。
親に愛されたい、認められたい。それがすべての動機でした。そのためにすきではないことにばかり注力して、結局、自分を失っていきました。
死ぬこともできないが、起きていることもつらいので、できるだけ眠って、時がくるのを待ちました。
当時は気づいていませんでしたが、私を不幸にする人は、なんと私の最も近くにいたのです。 そりゃ、人生うまくいかなくて当然だわ、と今では納得です。
ただ呼吸をすることがとんでもなく苦しく、精神科に行きたいと訴えたら、「嫁に行けなくなるからダメ」と保険証を隠された話。
勉強したくない気持ちを抑え込んで予備校に通っていましたが、だんだん着ていく服をえらべなくなり、登校できなくなってしまいました。
無理をして頑張りつづけると、何らかの精神あるいは身体の症状がでます。昔はそれを気合でなんとかしようとしていましたが、今思うと間違っていました。
過去の痛みを成仏させるため、自分の育った家庭を改めて客観視する作業をしています。(関連記事一覧はこちら>>>【もくじ】いかにして私はアダルトチルドレンになっていったのか【体験談】)。 自分の実力から目を逸らしまくって大学受験全敗したものの、…
勉強したいのにできない、という状態を放置した結果、大学受験はほぼ全敗。自分の本心に向き合うべきでした。
私に必要だったのは「ほんとうはもう、勉強したくない」という本音に向き合うことでした。
恋愛に干渉されるだけでもきついのに、どの選択をしても文句をつけられる。
友人との電話は盗み聞きされるのが基本でした。すぐに恋愛に結びつけられるのがうんざり。
高校生くらいになると「今妊娠したらあんたの人生終わるんだからね」と脅してくるようになった母。常に監視され、疑われることはつらかった。
子どもの頃から「男を見たら襲われると思え」的に聞かされたため、恋愛をすること自体がすごく悪いことのように思えてしまいました。
母の「他人を引きずり下ろしたい」という願望に、自ら沿ってしまっていました。
両親不仲で考え方が違いすぎることによる弊害。高校生になってもなお、苦しみました。
親から互いの悪口を聞かされるととても傷つくのは、どちらとも血がつながってしまっている自分を否定することでもあるから。
自分の長所と思われるところを「長所」として扱ってくれる場所(あるいは、自分では短所だと思っているところが、実はありがたがられる環境)を選ぶことは、本当に大切なことだと実感した話。
「うちの娘は〇〇高校よ」なんてわざわざ言わなくても、学校名がわかる特徴的な制服は、母の大のお気に入りでした。
母からすれば「娘のため」のつもりだったのでしょうが、同級生や塾の先生に侮辱的な言葉を発するのが嫌でたまらなかったという話
自分の存在価値が危うくなり、その結果周囲の人を傷つけてしまっていました。